「侵入ルート」を突き止めた
事件当日の道新の夕刊記事は、被害者の生々しい証言による緊迫のドキュメント、なぜ街中に現れたのかに関する専門家の分析など多角的な視点で構成され、さらに道総研の間野の〈当別町(石狩管内)方面から石狩川を越えて札幌市内に入り、石狩川の支流や用水路をつたって市街地の奥まで侵入した〉というコメントを引く形で、侵入ルートにもしっかりと言及している。
だが事件から数日経っても、内山にはどうしても引っかかることがあった。
事件前、最後に目撃された茨戸川緑地付近から東区まで、クマは具体的にどの水路や支流を辿ってやってきたのか。なぜ気付かれずに市街地に侵入できたのか。そこがはっきりしないと同じことはまた起こる。
そんな思いで改めて地図を眺めていると、気付いたことがあった。
「茨戸川から、その支流の伏籠川に入ると、そこから現場方向へ向かって南へと延びる水路があるんです。その水路が最初の目撃地点で途切れていたんです」
つまり当別町付近の山に生息していたクマは、そこから石狩川を渡り、茨戸川とその支流の伏籠川沿いに南へと向かい、伏籠川から南へと延びる水路を伝ってやってきたのではないか。水路が途切れたところで「上」へあがったところを目撃されたのではないか――。
内山は早速、道総研の間野に自分の「推理」を伝えて、実地取材への同行を依頼した。
北区上篠路から現場の東区へと南下する水路は、深さ約1.5メートル、幅は約3メートルあるが、草が生い茂り、外からは水路の中は見通せない。
その水路の“終点”を見つけた内山と間野は顔を見合わせた。
そこは札幌と小樽を繋ぐ札樽道の高架下で、ここで水路は地下へと潜る地下水路となっているのだ。つまり、水路を辿って南下してきたクマは、これ以上、水路を進めなくなり、やむなく「上」つまり街中へと飛び出したのだろう。そこに身を隠す草地はほとんどなく、クマはパニック状態へと陥っていったものと考えられた。
この推測を裏付けるように、事件当日18日の午前2時15分、上篠路のこの水路付近で「クマが南に歩いていった」という通報があったことが後にわかった。