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ヒグマは一晩中、崖の上からこっちを見ていた

 横浜市出身の内山は北海道大学大学院を卒業後、2004年に北海道新聞に入社する。札幌本社・報道本部での警察担当(サツタン)を経て、中標津支局に配属され、世界自然遺産の知床で自然環境保護やヒグマとの共生など“ネイチャー系”の取材を多く手掛けた。

「名前に“山岳を志す”って入っているくらいですから」と本人が笑う通り、登山が趣味で浅黒く日焼けした肌と短髪が、いかにも“動ける”記者という雰囲気を漂わせている。

初代「クマ担」の内山岳志さん

 その内山がヒグマと初めて“ニアミス”したのもこの知床でのことだった。

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「知床にシーカヤッカーとして有名な方がいて、シーカヤックで1週間かけて知床を一周するというシンポジウムの同行取材をしていたんです」

 知床半島の先端部は世界でも有数のヒグマの生息密度が高い場所でもあり、カヤックを漕ぎながら陸地に目をやると至るところにヒグマがいた。キャンプはその陸地で行う。

「数十人の参加者と夕食の準備をしていて、ふと目線を上げると、崖の上からヒグマがこっちを見ているんですよ」

 まだ子グマといっていい、若グマだったこともあり、他の参加者は「わぁ、クマだ。かわいい」と無邪気にはしゃいでいたが、内山はそんな気にはなれなかったという。

「とにかく一晩中、興味津々といった感じでこっちを見ているんですよ。もし降りてきたら銃もないし、“やばいよなぁ”と一人で警戒していましたね」

 子グマの近くには必ず母グマがいるものだ。結局何事もなく終わったが、このときの経験が内山にとっての「原体験」といえるかもしれない。

初代「クマ担」誕生

 3年半の中標津支局勤務や函館報道部を経て、再び札幌の本社報道センターに戻り、いわゆる“遊軍記者”となる。「まあ、何でも屋さんですね」と本人が言う通り、環境問題から街ネタまでその時々のトピックを精力的に取材していた内山が「クマ担」に任命されたのは、2019年夏のことである。

 当時、札幌市南区藤野の住宅街にメスのヒグマが連日、出没し、家庭菜園などの野菜を食い荒らしていた。このクマは人間を恐れる様子もなく、ついには周囲をパトカーと警察官に囲まれても、逃げずに食べ続けるほど大胆になったため、最終的に駆除された。この一連の経緯を取材していた内山は、クマと人間社会との境界がかつてないほど揺らいでいることを痛感させられたという。 

「それで駆除後もこの事件の背景を探る記事を書いたんですが、その中で専門家の方が『人間の生活圏に入られたら負け』『いずれ大通公園のような街の真ん中にもクマが出る』という話をされていたのが印象的でした。そうした流れもあって、ある日、先輩から『今日からお前はクマ担だ!』と言われたんですね」