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「学者にわざと間違ったことをしゃべらせて…」トンデモ取材にあ然、歴史学者がテレビ番組の制作手法に感じた“危うさ”

『室町ワンダーランド あなたの知らない「もうひとつの日本」』#1

2024/05/27

source : ノンフィクション出版

genre : ライフ, 歴史, 社会, メディア

note

 ただ、僕がもっと問題だと思うのは、そうした番組づくりに率先して協力してしまう「識者」が少なからずいる、ということだ。むかしは学者がテレビに出るなんて軽蔑の対象となったものだが、近年ではテレビに出る学者は「発信力がある」などと言われて、大学の内外で持ち上げられる傾向にある。大学によっては、「社会貢献」「大学の広報活動」として、教員のテレビ出演を奨励しているところもある。おかげで自分の専門外にもかかわらず、テレビから声がかかるとホイホイ出てしまう軽薄な学者がいるのも事実なのだ。制作会社から求められるままにいい加減な情報を発信してしまうのも、そういう手合いだろう。

軽視される「専門性」

 僕もたまにテレビに呼ばれることがあるが、基本的に自分の研究領域以外の話はすべてお断りすることにしている。現在、日本史の研究者の層はとても厚く、研究内容も細分化されて、格段に緻密になっている。僕らは同じ医者だからといって、お腹が痛いのに皮膚科に行ったり、歯が痛いのに耳鼻科に行ったりはしない。それと同じで、日本史についても一人の学者が「聖徳太子」から「坂本龍馬」まで、すべてをフォローできるようなことはない。なのに、なぜか日本史については、しばしばこの専門性が軽視されてしまう傾向がある。テレビなどで日本史全般を何でもかんでもしゃべっている「識者」がいたとしたら、それは要注意である。

 ワイドショーでタレント学者がまったく専門外のコロナ医療や国際関係を語ったりする現状が、社会をミスリードする危険なものであることに、僕らはそろそろ気づき始めている。これからは歴史学に限らず、専門性というものに対する敬意を社会が取り戻す必要があるのではないだろうか。

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 とりあえず、テレビ局は「※諸説あります」のテロップ、あれはやめたほうがいいんじゃないかな。僕は、あのテロップは「たぶん間違った情報だけど、なんか面白いから紹介しました」という作り手の無責任なメッセージと理解している。

「学者にわざと間違ったことをしゃべらせて…」トンデモ取材にあ然、歴史学者がテレビ番組の制作手法に感じた“危うさ”

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