そしてやっとの思いで話し合いを提案して返ってきた言葉が、
「ふざけんな! 全部お前が悪いんだろうが!」
だった。激昂した彼はいつものように三森さんを怒鳴りつけ、聞く耳を持たなかった。
その日、自分のアパートに帰った三森さんは、彼に別れのメッセージを送ろうと携帯電話を取り出す。
「別れましょう。今までありがとうございました」
文章を作ったものの、どうしても送信ボタンを押すことができない。彼と付き合い始めてから、もう何百回も「別れたい」と思ったが、交際から5年経ってもまだ別れられなかった。
三森さんはなぜ精神的にも肉体的にもつらい思いをしながらも、彼と別れることができなかったのか。その答えは三森さんの生い立ちにあった。
宗教2世の父親と問題のある家庭で育った母親
三森さんの父親は宗教2世だった。祖父母の代で真言宗系の小さな新興宗教を信仰し始め、三森さんの父親をはじめとした子どもたちが、もれなく宗教2世として強制的に入信させられた。
「信仰し始めたきっかけとして昔聞いたことがあるのは、子どもの頃から祖父が病弱で、大叔母(祖父の妹)が怪我をするなど、良くないことが続いたためその宗教に相談したところ、先祖供養を指導されたという話です。祖母は流産しており、水子供養をしてもらったことも関係があると思われます」
父方の祖父母のみならず、父方の親戚全員がその宗教の信者だった。そのため、幼い頃の三森さんは、いつも親しげに話しかけてくれたり世話を焼いてくれたりする人が、親戚の人なのか同じ宗教の信者なのか、判断が難しかったという。
一方、母方の祖父母は鹿児島県の離島、奄美群島の徳之島の出身である。2人は戦後、出稼ぎに行った大阪で出会い、同郷であることに縁を感じ結婚。ところが祖父は酒を飲み、ギャンブルや不倫に明け暮れる。三森さんが25歳くらいの頃にがんで亡くなるまで、祖母は大変な苦労を強いられたようだ。
そんな家庭で育った両親は、お互いが19歳の頃にアルバイト先で出会い、交際に発展。大学を卒業した父親は一般企業に就職したが、数年後に自分の両親が経営していた不動産会社に転職。母親は短大卒業後に就職したが、25歳で結婚を機に退職。27歳のときに三森さんが生まれ、その2年後に弟が生まれた。
父親は“パワー系DVおじさん”
3歳になると三森さんは幼稚園に入園。母親は弟を保育園に預けてパートに出るようになる。母親はあまり家事が得意でなく、父親が自営業で比較的時間の融通がきくため、料理は父親がやっていた。