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 また、筆者は自身が小学校1年生の頃のことも思い出した。過干渉だった母親は、遅いときは23時過ぎまで筆者を勉強させていた。だが父親が仕事から帰宅すると、「まだ起きていたのか! こんなに遅くまで勉強させるな!」と母親を注意してくれた。片方の親が常軌を逸した言動をしても、もう一方の親が抑止力になれば、事態の悪化は止められる。現に筆者の母親は、この日を境に夜遅くまで勉強させることはなくなった。しかし三森さんの母親は、父親を止めなかった。

 こうしたことが日常的に続いていた三森さんは、知らず知らずのうちに心を病んでいった。

壊れていく家庭

 小学校高学年になった三森さんは、社会の授業で「信仰の自由」について習い、愕然とした。

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三森みさ『宗教三世が信仰をやめるまで』より

「習ったところで、宗教の活動に『行かない』『休みたい』と言えば父にブチギレられるので、とてもじゃないけど『自由なんでしょう?』なんて言えるような雰囲気ではなかったです。親戚や信者たちの間では、奉仕活動やお参りをするのはいいことなんだという空気があるため、『ノー』とは言えませんでした」

 そんな環境で育ったせいか、三森さんは人間関係が上手く構築できずにいた。ただ、絵を描くこととマンガを読むこと、ゲームをすることの3点が救いであり、唯一の娯楽だった。

 やがて三森さんが中学校に入学した頃、母親は言った。

「ママね、別居しようと思うの」

 母親が出ていった後、三森さんの精神はさらに大きく崩れていく。

三森みさ『宗教三世が信仰をやめるまで』より

 起きている間は強迫観念に襲われ、宿題をカバンに入れたかどうかを何度確かめても不安でたまらない。眠れば母親が出て行ったときの夢や、母親が帰ってくる夢を見るため不眠症に陥る。次第に「つらいな」「消えたいな」という希死念慮が現れるようになった。

 いつしか三森さんは、眠れない夜をやり過ごすために、父親や弟が寝静まった後、1人でこっそりゲームをするようになっていった。

 そして中学1年の夏、三森さんは夏休みの宿題にほとんど手をつけないまま始業式を迎えた。それを知った父親は激昂し、「なぜやらなかったのか?」と問い詰める。

 当時の三森さんは、「“現実の苦しさから逃避するために”ゲームをしていた」という自分の精神構造には気付いていなかった。そのため、ただ自分が情けなく感じて、父親に謝り続けた。