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「120頭獲ってからは記録していない」300m先のシカを一発で仕留めたことも…あなたの知らない「現役最強のヒグマハンター」の生き様

『OSO18を追え “怪物ヒグマ”との闘い560日』より #2

2024/07/11

source : ノンフィクション出版

genre : ライフ, 社会, 歴史

note

 そこで私は2006年に「根釧地区における野生動物の調査研究及び自治体からの管理委託による野生動物管理」を目的として、NPO法人「南知床・ヒグマ情報センター」を設立したのである。初代理事長は斉藤泰和だ。

 というわけでNPO法人の事務所は、私の経営する大津自動車の事務所と兼用する形になっている。

現役最強のヒグマハンター・赤石正男

 業務課長である赤石正男の主要な「業務」とは有害なヒグマの駆除に他ならない。

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 赤石はもともと重機のオペレーターをしていたが、北海道における建設業は、1月から5月のゴールデンウィーク明けまでは積雪のため“開店休業状態”となる。

 この時期は冬眠明けのヒグマを獲るには絶好のシーズンである。20歳で銃の免許を取るとすぐに赤石は、ヒグマ猟を始めた。当時は「春グマ駆除」の最盛期であったからだ。

「春グマ駆除」とは、1966年から1990年まで北海道が実施していたヒグマの個体数減少策である。

 その背景には戦後、北海道においては人口が急激に増加し、森林開発などが進んだ結果、生息圏を追われたヒグマによる家畜や人身への被害が相次いだことがある。

 そこでクマの足跡を追いやすい残雪期に冬眠明けのクマを集中的に捕獲することで、この被害を減らす施策として「春グマ駆除」が認められていたのである。

 1頭捕獲するごとに自治体から奨励金が支払われ、当時はヒグマの毛皮や胆嚢(熊胆)が高く売れたため、ハンターにとっても経済的な恩恵の大きな制度であった。

 結果、春グマ駆除によりヒグマの個体数は激減し、一部の地域では絶滅が危惧されるほどになった。そのため北海道はヒグマ対策の方針を「絶滅から共存へ」と180度転換し、1990年に同制度を廃止することになる。だが、赤石が銃を持ち始めた約50年前は、ヒグマを獲ることが自治体からも奨励されていた時代だったのである。

 初めて銃を持った20歳の秋、赤石は自宅裏の牧草地に現れたヒグマを早速獲っている。

「あれは親子連れのクマ。“獲ってください”と言わんばかりに俺の家の方に歩いてくるもんだから散弾銃で撃ってやったのさ。それが始まりだな」

 以来、70歳を超えた今に至るまで赤石がクマを獲らなかった年は一度もない。