仕事上、捜査機関との関係が深い法医学者たちから、これほど強い裁判批判の言葉を聞き出したのは、元NHKディレクターの木寺一孝。司法の課題を扱うのはこの番組が初めてではない。
2年前、『正義の行方』という番組が高い評価を受け、映画にもなった。1992年、福岡で女児2人が殺害された「飯塚事件」が舞台だ。無実を訴え続けた久間三千年(くま・みちとし)の死刑判決が確定し執行された後、当時の報道が警察寄りに偏っていたのではないかと新聞社が自ら検証する姿を描いている。
「死刑にしてしまっているから、裁判所は判断から逃げている」
死刑になった久間の遺族は、無実の可能性を示す2人の新証言を得て再審を請求した。しかし福岡地裁は今年6月5日、新証言は「信用できない」として請求を退けた。その現場には木寺と撮影クルーの姿もあった。
「証言の中身に踏み込まずに門前払いした印象が強いです。死刑にしてしまっているから、裁判所は判断から逃げている」
その上で、報道が果たすべき役割を強調した。
「裁判についても正しいかどうか批評することが当たり前にならなきゃいけない。そこをしっかりやれば市民にも問題が伝わると思います」
「法医学の結論が有罪を導くのに都合よく曲げられたという疑念」
Nスぺ『法医学者たちの告白』は、まさにそれを実践するものだった。私は映画の記事執筆に際しても木寺に話を聴いていたが、改めて取材を申し込んだ。
――Nスペも映画『正義の行方』と同じで背景にえん罪がありますね。でも今回は法医学からアプローチしたのはなぜでしょう?
「そもそも個別の事件がえん罪だと訴える番組ではありません。日本の裁判自体がおかしいんじゃないかという問題意識から始まっています。例えば飯塚事件はDNA型鑑定や死亡推定時刻など、法医学の結論が有罪を導くのに都合よく曲げられたという疑念があります。科学ってそんなに曖昧な使い方をされるのかと。それが裁判でえん罪を生む土壌になっているかもしれない。その可能性を描くために今度は今市事件を選びました」
――なぜ今市事件に?
「裁判官が訴因変更を持ち出して、法医学者に対し梯子を外す。証拠の扱いがひどすぎる。法医学をテーマにした番組を作るのに一番ポイントがそろっていたからです」
――この番組を観ると私個人は、今市事件はやはりえん罪だろうと強く感じます。同時に、自白の矛盾にとどまらず、より直接的に無実を示す証拠があればいいのにと感じますが。
「今市事件でもDNA型の鑑定は行われているんです。遺体の頭部についていたガムテープから何人かのDNAが出た。ただ、それは実は捜査員のものが混入しちゃってたんですね。勝又さんのDNAは出ていない。ところがそれとは別のDNAがあるというんです」
――それは真犯人がほかにいることを強くうかがわせる事実ですよね。