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「刀を構えて、気息が整うまで待って…」短篇小説の呼吸、長篇小説の呼吸を北方謙三・松浦寿輝が語り合う

「刀を構えて、気息が整うまで待って…」短篇小説の呼吸、長篇小説の呼吸を北方謙三・松浦寿輝が語り合う

『黄昏のために』(北方謙三)

note

早い勝負、遅さへの執着

松浦    物語というのは時間の芸術ですよね。始まりがあって、クライマックスがあって、終わりが来るという時間の流れがあるわけだけど、絵画というのは、その時その場に一挙に存在するものでしょう。今回みたいな十五枚の短篇は、空間のうちにいきなりぱっと現前している絵画芸術みたいなものとむしろ近しいのでは。

北方    通俗的な言葉で言うと、絵は勝負が早いんです。一目見たら分かる。小説は全部読まないといけないから。

松浦    それは確かにそうだ。

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北方    僕は長篇でさえも早い勝負を求めているのかもしれないです。小説とは何か、しばしば考えます。説明じゃない。イメージの芸術、つまり描写なんです。描写ということになると、松浦さんの文章なんて、本当にすばらしいんだ。悠然たる流れなんだよな。

松浦    僕にはむしろ遅さへの執着があるんです。ゆっくりゆっくり進んでいきたいという思いが強い。

北方    その遅さが僕にはいいんだな。『人外』なんて、最初、何が何だか分からないわけよ。十ページ読むのに「なんだこれは」とすごい時間がかかって。最初は人間でも何でもないわけじゃない。だんだん読んでいるうちに、それが何かというのが見えてくる。これは「視点」そのものだなと思ったとき、最後まで読み通せました。

松浦    よく読んでくださいました。

北方    「読んだ」と言ったら「読まなくていいのに」とおっしゃいましたね(笑)。『名誉と恍惚』もゆっくりですが、ちゃんと物語が進むのがいい。

松浦    まあ一度くらいそういうこともやってみたかったんですよね。

北方    文体は時々変えておられますよね。『人外』はちょっと短いけれど、『谷中』ではゆったりと続くでしょう。

松浦    それは谷中という場所の土地柄もありますね。台東区から文京区にかけてのあのあたりの土地に流れている時間というのは、やっぱりちょっと独特なものがあって。

北方    主人公のあの画家、あんまり描かないもんね。

松浦    いつまでたっても描かない。鉢とか瓶とか果物とか見つめて、悩み続けている。

北方    僕は『谷中』を読み始めて、思い浮かべたのは堀辰雄だったな。『菜穂子』の、すごく息が長い文体。

 

松浦    うーん、『菜穂子』にはあんまり似てないと思うけど、ただ堀辰雄も隅田川沿いの向島あたりで育った人でしょう。東京下町育ちで、西洋かぶれになっていく、そのあたりの人生の成り行きというのは僕の場合とちょっと似ているかもしれません。

北方    堀辰雄が書いたものはちょっと作為的すぎるような気がするな。『谷中』は私小説ですか?

松浦    フィクションだけど、自分の記憶を投影しているところはありますね。あの辺の土地には子供の頃から縁が深くて、今でも非常に愛着があります。母の実家が文京区団子坂。それが下谷竹町の味噌屋に嫁入りしたんで、僕は御徒町のあたりで育ったんですね。それから中学高校は西日暮里で、上野広小路から不忍池の岸を回ってゆく都電で通っていました。というわけで谷中、上野あたりには昔からなじみがあり、授業が終わるとよく谷中霊園を抜けて家まで歩いて帰ったりしていました。あの辺の土地勘はおありですか?

北方    全然ないんです。主人公は酒を飲んで、道に迷って帰れなかったりするけど、松浦さんは土地勘があるんだなと思いながら読んでいた。あれは私小説的な選別がなされているんですよ。つまり、全部書くわけじゃなくて、どこで何を選別するか。それが一種の指標だろうと思う。あんなディレッタントの本屋っているんですか? たぶん、願望なんだろうな。

松浦    ああいうのは想像の産物で、密かな憧れの表現かもしれません。

北方    部屋から外を見て、幽霊みたいな男がいるなとか。

松浦    お寺が多い土地柄だから、墓地がいっぱいある。戊辰戦争の時にたくさん人が死んで、路上に死屍累々だったはずだけど、お墓にちゃんと埋葬されずに野ざらしになっちゃったようなことも結構あったんじゃないかと思うんですよ。そういう意味では意外に不穏な土地なんですね。

北方    野ざらしにして埋めるのは、本当は許可されないんですよ。俺の家の墓は山の中にあって、今もそこを守っている人が居るんです。庭に何か作ろうと思って穴を掘ったら、骨がボロボロ出てきたと。頭蓋骨が割れていたり、どこか傷ついているんだって。要は、賭場荒らしをやったやつを叩き殺して、埋めていたんです。役所に「埋葬していいですか?」と聞いたら、「焼いてないからできません」と言うんだ。それで、七輪で焼いて「これでいいか」と言ったら「構わない」と。

松浦    役人の考えることってよく分からないですよね(笑)。

北方    でも、十三体も出てきちゃったと聞いて、俺は嫌だったな。掘ればもっと出てくるかもしれない。

松浦    今回の短篇集にも、牛の頭を庭に埋めておいて掘り出して描こうとする話がありますね。

北方    あれは、叔父貴が画家で、そういうことをよくやっていた。俺も自分でやろうと思って。屋根に置いておくと、色が変わって野ざらしの骨みたいになるんだけど、二年ぐらい経ったらボロボロになるんだよね。

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