こういう詩は声を出して読むんだ
北方 私は中学生から高校生の頃、詩を書いていたんです。こんな詩人がいるよ、と詩のことをいろいろと教えてくれた先生がいたんです。角田敏郎といって日本近代詩の研究者でした。その先生が転任しちゃったんだ。で、高三の時に文芸部の仲間と小っちゃいガリ版の詩集を作って送ったんです。「なかなかうまいが、手放しで褒められない」と言われましたね。その瞬間に、俺の詩的感性が閉じちゃって、詩を書かなくなった。
松浦 それは罪作りな言動だなあ。志ある少年に先生がそういうことを言うのは。
北方 その時に書いた詩が、志があるかどうかは分からないんだな。「女はもう絵本のように閉じようとしている」とかね。
松浦 その詩集、まだお手元にあるんですか?
北方 それはちゃんと取ってあります。松浦さんになんか絶対見せないけど(笑)。
松浦 僕も中学高校で親しかったのはやっぱり国語の先生でした。友達とお宅に遊びに行ったりしたな。そのうちの一人は葉山修平というペンネームで小説を書いて、直木賞候補にもなった方でした。
北方 僕は未だに詩というのはどういうものか、全然分からないんだけれど、高校生の頃、画家の叔父貴に「おい、学校行くぞ」と、新宿の「酒場學校」という飲み屋に連れていかれたの。中に着物を着たおじさんが居て、それが草野心平なんですよ。
松浦 ああ、そうか。
北方 草野さん、前は「火の車」という店をやっていた。「学校」では焼き鳥の串とか刺していた。「こんなものは学生が食うものじゃないけど食わせてやろう」といって、卵の黄身だけを味噌に漬けて壺に入れたやつを出してくれて。結構うまかったな。「おじさんの詩、教科書に載ってたけど全然面白くないね。るるる、とか書いてあるだけじゃないか」と言ったら、「こういう詩は声を出して読むんだ。そうすると自分のリズムができる」と。
松浦 草野心平と北方謙三に接点があったということか。文学史のエピソードとしては非常に面白い。
北方 文学史といえば、ゴールデン街に「まえだ」という店があったんですよ。
松浦 田中小実昌さんが常連だったところですね。
北方 あそこはサントリーホワイトをキープする。ところが、俺らはレッドしか飲めなかった。レッドが五〇〇円で、ホワイトが七五〇円だけれど、キープするには二〇〇〇円ちょっとかかるんだよ。で、アルバイトして、ようやくホワイトを入れたんだ。チビチビ飲んでいても、少なくなってくるわけ。次に行ったら、ドーンと増えてるんだよ。「お母さんさ、これ、酒がよ」と言ったら、「いいんだよ。気に食わない客がゴロゴロ居やがるからよ」(笑)。
松浦 気風のいい女将さんだったんですね。
北方 俺だけじゃなくて、立松和平と中上健次も、自分の金出して入れたのは一回だけ。あとは飲んでも飲んでも減らないんだよ(笑)。すごくいい店だったな。
イタリアのどこが好きか
北方 ちょっと酒を入れようか。飲みながら松浦さんの旅の話を聞こう。
松浦 いいですね。飲みましょう。
北方 シングルモルト……アイラ。アードベッグ。ソーダ。
松浦 僕もシングルモルトかな。ラフロイグをロックで。
北方 ヨーロッパはよく旅行してるんですか?
松浦 最近はコロナがあり、今は円安がひどいからなかなか行けないでいるんですが、イタリアとか多いですね。とくによかったのは長靴のかかとのほうの……。
北方 長靴のかかと? じゃあバーリだ。バーリから車でタラントに行って、それからレッジョ・ディ・カラブリアへ行って、レッジョ・ディ・カラブリアからフェリーでシチリアのメッシーナに渡る。
松浦 タラントもすごくよかった。レンタカーで回ったことがあるけど、あの辺、いいですよね。レッチェ、オストゥーニ、洞窟住居があるマテラ……。ワインもおいしいし。バローロという濃厚な赤ワインが絶品。
北方 メッシーナからパレルモに向かって走って行くと、パレルモの一〇〇キロぐらい手前にチェファルという町があるんですよ。これがきれいなんだ。
松浦 チェファル、絶壁のきわにある町ですね。
北方 九〇年代の終わりに、盛岡に映画祭で来日したミレーヌ・ドモンジョと飯を食ったことがある。「あなたはイタリアが好きだというけど、どこが好きなの?」と言うんで、「やっぱりシチリアだな」と言ったら、「シチリアのどこ?」。「俺はチェファルという町が好きだ」と言った瞬間に、抱きしめられてキスをされて、「私の別荘がそこにあるの!」と。
松浦 それは素敵! 僕もシチリア島は時間をかけて一周しました。街がみんな山の上に作ってあるから、細い道をクネクネと上っていかなくちゃならないし、その挙げ句、街並みも狭い路地が迷路みたいに入り組んでいて、運転が大変。タイル張りの壮麗な大階段があるカルタジローネとか、それぞれの街に個性がありますね。シチリア、楽しかったなあ。
北方 奥さんと行ったんでしょう。松浦さんの『わたしが行ったさびしい町』で、奥さんと二人でホテルに向かって暗い道を歩いていく場面もよかったな。俺には女房と旅に行くという発想がないから。
松浦 北方さんの奥さんは寂しいんじゃないの? 勝手にホテルに籠もったり、船に乗ったり、やりたい放題なんでしょう。
北方 ただ、娘が二人、孫が三人いて、女房はみんな手なずけてる。だから、俺一人孤立してる。
松浦 孤立というか、自由人として生きているわけだ。
北方 自由にさせてくれてますよ。全収入を女房に渡して、小遣いをもらっているのよ。いろんな女房に言えないことも自由にしているわけですよ。ちょっと大きな買い物をする時はちゃんと買ってくれるから。
松浦さんは、映画もいっぱい観るでしょう。画家を描いた名画ってありますかね。