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「刀を構えて、気息が整うまで待って…」短篇小説の呼吸、長篇小説の呼吸を北方謙三・松浦寿輝が語り合う

「刀を構えて、気息が整うまで待って…」短篇小説の呼吸、長篇小説の呼吸を北方謙三・松浦寿輝が語り合う

『黄昏のために』(北方謙三)

note

松浦    モディリアーニの生涯をジェラール・フィリップが演じた……。

北方    『モンパルナスの灯』。ジェラール・フィリップにビターッとくっついて滅びていくのを見ている画商がいるじゃない。彼の絵は素晴らしいと分かっているのに扱わずに、死んでから買い集める。あれがよかったな。誰だったっけ。

松浦    リノ・ヴァンチュラ。でも、画商という存在を北方さんは、今回の短篇集でも『冬の眠り』でも、あんまりいい人間には描いていませんね。

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北方    私は画商を何人も知ってるんですよ。誠実な人は成功しないです。

松浦    僕は全然知らないけど、結構あくどい人がいたりするんですか。

北方    私の友人にも、画商と対立したがために値段がつかなくなっちゃった画家がいます。画商組合が値段をつけるんですよ。私は天才だと思ったけど、個展もできない。あくどいというよりも、自分たちの利権を守るという部分が明確にあると思うな。絵は言葉じゃないけれども、売る時には説明が要るから、画商がタイトルをつけたり解説したりする。どんな言葉でもいい、難しければ難しいほどいいんだよ。

松浦    能書きがつかないと、絵の価値が出ないのかな。

北方    能書きばっかりやっている映画があったな。『美しき諍い女』。ちょっとサドっぽい映画だったけど。最近の映画では『燃ゆる女の肖像』。伯爵夫人を演ったヴァレリア・ゴリノがタイプなんだよ(笑)。それから、『真珠の耳飾りの少女』って映画あるじゃない。

松浦    フェルメールの絵の少女をスカーレット・ヨハンソンが演じている。

北方    スカヨハは『ブーリン家の姉妹』のほうがよかったな。ウディ・アレンが監督した『マッチポイント』もよかった。何せあの人はいつも口を開けていて、何となくそこがいい。あとは、胸のかたちが実にいい。

松浦    具体的ですね(笑)。確かに唇がすごく色っぽい。『ブラック・ウィドウ』というアクション映画のスカヨハもなかなかいいですよ。

北方    『ブーリン家の姉妹』で、スカヨハの姉役が『レオン』の……。

松浦    ナタリー・ポートマン。

北方    そこにスカヨハが来て、後ろから抱き着いて、胸のあたりをまさぐって、「本当にないのね」って(笑)。それと、俺はダリは好きだし天才だと思うけど、一番評価しているのは『アンダルシアの犬』。

松浦    ルイス・ブニュエル。

北方    ブニュエルは観念的なんだけど、天才のダリが入ると、思わずバッと目をつぶっちゃうようなシーンから始まるんだよ。

松浦    剃刀で眼球を切り裂くシーンですね。あれは死んだ牛の目玉を使って撮影したというけれど。

北方    俺は昔、眼科の女医さんと付き合っててね。車を運転しているところで車に電話がかかってきた。「ちょっと緊急手術が入っちゃったから、部屋に行ってて」と言われて、合鍵でガチャッと開けて部屋にあがってシャワーを使って、部屋に置いてある俺のバスローブを着て、さあビールを飲もうと冷蔵庫を開けたら、変なものが入ってるんだよ。目玉が四つ。「うわっ、今のウソ、今のウソ。絶対違う」と思ってもう一回見なおした。

松浦    ホルマリン漬けですか?

北方    豚の目玉ですよ。手術の稽古をする時にそれを使う。戻ってきたから「冷蔵庫に変なものが入ってるぞ」と言ったら、「ああ、あれね」とか言って。別れた男の目玉をくりぬいて保存してたんじゃないかと思った(笑)。

松浦    その話で短篇小説が一つできちゃうんじゃないの。

「言葉をちゃんと見ろ」

北方    中高の頃は、国語教育に恵まれていた。高校生になったらいつも土曜日に友達と、両国の先生の家に行くわけ。グローブとボールを持って。『雨月物語』の「蛇性の婬」とか『春雨物語』の「目ひとつの神」の解析とかをやる。難しいことをやったけど、中身は全部忘れちゃった。中村博保先生といって、やがて静岡大学の教授になって、『上田秋成の研究』という大著を出した研究者です。次男坊で部屋住みだったんだけど、部屋中本だらけで、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』を貸してくれたりした。途中で眠たくなると外へ出て、隅田川の堤防でキャッチボールしてね。先生の家が牛乳屋さんで、牛乳一本飲ませてくれて。

松浦    教える情熱のある先生だったんですね。

北方    まだ若かったし、何かを高校生に伝えたかったんだと思う。あるとき、志賀直哉の「城の崎にて」の解析をやることになった。そのときに言われたのは、「言葉をちゃんと見ろ」。イモリが居たんだよ。それに光がこう当たって、いい色をしていた。石を取ってぶつけると、イモリに当たって動かなくなって、死んでしまった。「『いい』という言葉は何なんだ」と問われて「『いい』って言葉でしょう」と言ったら、「違う。美しいという言葉だ。普通は美しい色をしていたって書くだろう。そう書かない。きれいな色って書くだろう。書かない。『いい色』と書くんだ。『いい』は完全に主観的な言葉だ。だけど、『いい』という言葉を使ってきちんと普遍性を持たせるのが小説の言葉だ」と。

松浦    いい、わるい、という単純な言葉は強いですよね。

北方    高校生だぜ。それだけは覚えた。小説を書くようになってから、「美しい」「きれい」とは書くまいと思った。「いい」と書いて、ちゃんと説得力のあるものを書きたいと。

松浦    まさに、この短篇集の文章がそういう感じですね。自分の等身大に近い男を主人公にして、言葉一つ一つを確かめ直しつつシンプルな文を連ねていく。そういう仕事をされた。で、気息を整えたところで、この後また、大長篇の執筆に入られるわけでしょう。最後にその辺の展望を、ちょっとだけお聞かせください。

北方    文体を固めようと短篇を書いて、緊密に書けるなという手ごたえを感じたので、それなら物語の続きを書こうと。チンギスの孫がクビライで、日本を侵略しようとして元寇が起きる。北条時宗は優等生の中の優等生みたいなやつだけど、その男が孕む狂気を描いたりしながら、「でも、日本人は不屈だった」という話を書こうと思ってます。

松浦    物語はまだ続く、と。

北方    続く。どうやら、死ぬか、病気で書けなくなるまでは続くと思うな。

(四月十八日、銀座、ザ・ライオンズデンにて収録)

きたかた・けんぞう●1947年生まれ。81年『弔鐘はるかなり』で単行本デビュー。主な著書に『眠りなき夜』、『渇きの街』、『破軍の星』、『楊家将』、『水滸伝』(全19巻)、『独り群せず』、『楊令伝』(全15巻)など。2016年「大水滸伝」シリーズ(全51巻)で菊池寛賞を受賞。

まつうら・ひさき●1954年生まれ。主な著書に評論『エッフェル塔試論』・『折口信夫論』・『知の庭園―19世紀パリの空間装置』、小説『あやめ 鰈 ひかがみ』・『半島』、詩集『吃水都市』・『afterward』、評論『明治の表象空間』など。2024年『松浦寿輝全詩集』を刊行。

黄昏のために

黄昏のために

北方 謙三

文藝春秋

2024年6月10日 発売

「刀を構えて、気息が整うまで待って…」短篇小説の呼吸、長篇小説の呼吸を北方謙三・松浦寿輝が語り合う

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