金メダルを獲得した20年前のアテネ五輪体操男子団体総合決勝。日本の最終演技者を務め、“逆転優勝”を決めたのが当時23歳だった冨田洋之さんだ。その姿は「栄光の架橋」という実況の言葉とともに、多くの人の記憶に残っている。
現在は指導者として後進の育成に携わる冨田さんに、五輪のこと、「美しい体操」をキーワードにした理由、さらにパリ五輪・男子団体総合で金メダルを獲得した現在の“体操ニッポン”ついて伺った。(全2回の前編/つづきを読む)
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名場面として記憶に残る“栄光の架橋”
――冨田さんと言えば“栄光の架橋”。五輪関連のテレビ番組などでは、「思い出に残る名場面」として、アテネ五輪で体操男子団体が28年ぶりに金メダルを獲得したシーンが1位に選ばれるなど、冨田さんの鉄棒の最終演技は未だに多くの人の記憶に残っています。
冨田洋之さん(以下、冨田) 鉄棒の演技が始まるまで日本は3位で、得点差は稀に見る僅差でした。そんな緊張感のある中で、結果的に逆転劇という形になったので皆さんの記憶に残ったのかもしれません。ですが何より、私が着地を決めた瞬間、NHKアナウンサーの刈屋富士雄さんが実況した「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架橋だ」という言葉が、印象深かったのだと思います。
今は「冨田は知らないけど、“栄光の架橋”は知っている」という人がたくさんいますね。私は今、順天堂大学で教鞭をとっているのですが、器械運動の授業で一般の学生たちに教えていると、「TikTokで“栄光の架橋”の映像を見たんですけど、この人、先生に似ていますよね」とか、「先生この人なんですか」って言われます(笑)。
――なんて返すんですか?
冨田 「そう、そう」と(笑)。体操競技部の学生たちは、私が着地を決めた姿を真似したり、平気でいじってきますね。橋本(大輝)なんかは、大げさにガッツポーズしてみせたりして。
味わったことのないほどのプレッシャー
――10代の学生たちに話題にされるほど、やはり語り継がれているじゃないですか。それだけあの金メダルはミラクルな要素がありました。
冨田 団体では1種目に3人出場し、「ゆか」「あん馬」「つり輪」「跳馬」「平行棒」「鉄棒」の順に演技するのですが、5種目の平行棒まで日本は3位。でも僅差だったので、最後の鉄棒の演技次第で金メダルの可能性があった。
日本は米田功さん、同学年の鹿島丈博、私の順でしたが、最終種目に入る前は今までに味わったことのないほどのプレッシャーがありました。米田さんの演技は見ていたけど、鹿島が演技に入った時はもうかなり緊張していて。「ダメだ、こんな状態ではいい演技ができない」と、演技を見るのをやめて、冷静になって自分自身に集中しようとしました。演技のポイントを振り返ったり、深呼吸をしたり。