濱口 ラウシェンバーグの絵を餃子に例えるのからして、本当に分かりやすいですよね。絵や文章はリニアだけれども、食べたり絵を見る体験は、リニアなものではない。もちろん餃子を食べたときの味の体験は、細かく見ればリニアにできるけど、それを一度全部要素を書き出して、文章として連ね直してくれているような感じがある。だから、この本を読んでいるときは頭が良くなったような気がする(笑)。
本ってそもそもそういう、思考を肩代わりしてくれるところがあると思うんですけど、先達が考えてくれた思考を追うことで、自分がすぐに消化できるものになっている。それがどれだけありがたいことか、どれほどの労力であろうか、ということを千葉くんの近作から感じています。
『悪は存在しない』と『センスの哲学』の共振
濱口 もうひとつ、自分にとってありがたくて、これはぜひ言いたいと思ったのは、私の最新作『悪は存在しない』は、よくわからない、という感想をいただくことが多いですが、『センスの哲学』を読んで、見ていただければ分かります(笑)。
千葉 今回、ネットを見ていて、『センスの哲学』を読んでから『悪は存在しない』を見たことがよかったという感想が複数ありました。僕の感想をお伝えすると、『悪は存在しない』はかなり抽象的なところがありますよね。もともと作曲家・石橋英子さんから映像作品を依頼されたところから始まっている。だから、ややうがった批評をする人は、ある種MV的な面がある、みたいなことを言ってもいる。そこまでは言わないとしても、物語をどう展開するかということだけじゃない、僕の本で言っているような、リズムの側面がある。そういう捉え方でいいのかしら。
濱口 そう見ていただけるように作ったつもりではあります。その映像が持っているリズム、それにプラスして音楽が持つリズム。もしくは自然音も含めたものの音楽的なリズム。違う言い方で言うと、フォルム。そのフォルムがどうやって継起的に変化して、緊張感や衝撃を観客にもたらすのか、自作の中でもそういうことを自覚的にやっている映画だと思います。それを千葉くんは意味の手前にとどまる、という言い方をしている。映画の意味を考えることもある程度、面白いように作ってはいますが、その意味が宙吊りになるようにもしている。
今回は石橋英子さんから依頼を受けたのも大きいですが、やっぱり映画って音楽に憧れる、その抽象性に憧れるようなところがあると思うんです。音楽って意味を考えずに聞きますよね。理想を言えば、『悪は存在しない』も音楽を聞くような見方をしていただけると、一番いいかなと。『センスの哲学』はその見方をガイドしてくれている。
千葉 ネタバレにならないようにですけど、ラストはかなり象徴的なものですよね。象徴的って言うと、それこそ深い意味があるということになっちゃうけど、あれをどういうふうに取るかは、いろいろでいい。最後は何か、パーッとしていく……みたいな、そういうもので僕はいいと思っています。でも、ラストがパーッとしているのが駄目な人もいるんだよね。例えば僕の『エレクトリック』という小説もそうで、濱口監督は、最後、すごく気持ち良く駆け抜けていくっていう感想をくれたじゃないですか。
濱口 ええ。『エレクトリック』は最後電気が通じるその瞬間に起きた感情、本当にただそれだけを抱えていただければ、それで十分、楽しめるのではないかと思います。