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「作品」でなく「番組」をつくる

―― この『全部やれ。』を読んで印象的だった部分はどんなところでしたか?

ヒャダイン 日テレがカギ括弧付きでいう“下品”な理由というのが全部これで詳らかになりましたよね。すべてのものごとには理由はあると思うんですけど、品のなさというのが脈々と受け継がれたものなんだ、という。結果を出すための手段として「品がなくあれ」ということだったんですよね。

©深野未季/文藝春秋

 そこはやっぱりフジテレビという大きな敵がいて。追い続けているうちに途中からフジテレビという存在がほぼ仮想敵に変わってきているようなところも面白い。もともとは大きな敵だったはずなのに、仮想敵に向かって自分たちを高め合っている感じが、この本を読んで、やっぱそういうことなんだなというのはわかりましたね。

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戸部田 取材した日テレの方たちが共通しておっしゃるのは、自分たちがつくっているのは「作品」でなく「番組」なんだと。それって、ヒャダインさんがマツコ(・デラックス)さんの番組(『夜の巷を徘徊する』)でおっしゃってた「永代まで残る曲をつくろうと露とも思ってない」「刹那刹那で、その時代を華やかにできればいい」という考え方に共通するんじゃないかなって思うんですけど。

ヒャダイン そうですね。だから日テレにすごくシンパシーを覚えて見ているのかもしれない。なんか、自分がやっていることって後世に残ることではないし、芸術作品とも言い難いんですけど、エンタテインメントではあるとは思うのです。だからホント、瞬間風速だけ吹いて、その刹那で楽しければそれでいいということなんですよね。バラエティ番組だってそうじゃないですか。その番組での発言が命取りになって、10年、20年覚えられてしまう、なんてレアケースもたまにはありますけど、僕がクイズ番組に出て間違えようが、誰かが嫌なことをしようが、みんなバラエティだから忘れていくんですよね。

 でもその場、その場で視聴者の感情は動く。日テレのやり方というのは、反感を買うこともあるとは思うんですけど。五味さんの数字至上主義的なやり方とか。

©深野未季/文藝春秋

戸部田 『エンタの神様』や『SHOW by ショーバイ』などの生みの親である五味さんは「毎分視聴率表」をつぶさに分析して演出するやり方をしてきました。

ヒャダイン とてもエグい。なので、僕、『エンタの神様』とか、正直あまり好きじゃなかったんですよ。だけど、ものをつくる側になってから見ると、すごくおもしろい作り方をするなと思うんです。容赦なくネタを編集するし、テロップ出すし、お笑いのネタでテロップ出すって(笑)。

 ネタ終わりの余韻も、ズバコンと切ってしまう。ホームビデオでももうちょっときれいにフェードアウトするわという勢いで(笑)。言葉が乾かないうちに坂上みきさんのナレーションがはいってきて、「続いては……」と。でも、すごく戦略的に作っているなというのを感じますよね。いまの視聴率が時代に合った指標なのかは分からないですけど、そこで「OK、わかりました」と腹を括って、何が何でも視聴率を取るというのが日テレなんだというのを、この本を読んで確信を得ましたね。