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朝倉 小説にも書きましたが、自分が忘れたことをクイズ形式で聞いてくるのとかは、うちの母がよくやるやつなんです。「私、今何をしようとしていたと思う?」とか、自分は忘れてないフリをして、娘に答えを聞く(笑)。そんなこと聞かれても「わかんないよー」って言うしかない。

中島 私の父も、認知症が始まった頃は家族に症状を悟られないように、忘れたことを取り繕うことはありましたね。じゃあ、今回はお年寄りを描こうというのが執筆のきっかけだったんですか?

朝倉 いえ、実は全然そんなつもりはなかったんです。きっかけとしては、編集者とお話ししている時に世間話として、「うちの母親が読書会をやっているのよ」と言ったんです。そしたら「では、それを書いてみませんか?」と。母が通っていた読書会は、何回か見学させてもらったことがあって、課題図書は北海道出身の小檜山博さんという作家の作品なんです。一人の作家の著作だけを20年も読み続けているから、何周目かに入っているんですよね。あと、その読書会が素敵なのは、自分たちを褒めるというのと、小檜山博を褒めるという二大褒めの文化があるんですよ。あんなに全力で褒め合うって、すごいなと思って。

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中島 それ、いいですね。大人になると誰にも褒められないから(笑)。メンバーは70代、80代くらいですか。

朝倉 80歳以上です。うちの母は88歳ですね。

 

中島 連載開始に際して書かれた朝倉さんのエッセイの中の言葉がすごく印象的だったんです。〈わたしは、この「ちいさな集まり」の一員になったときの母が、もともとの母であるような気がした〉。もともとの母というのは、娘にも見せていないような母の顔ということですか。

朝倉 そうです。お母さんでも奥さんでもない、個人の顔。母が入院した時に、お友だちとか近所の人たちがお見舞いに来たんですね。その人たちと、読書会の人たちがお見舞いに来た時とでは別人のようでした。読書会の仲間がお見舞いに来た時の方が、生き生きとしているの。普段の生活の中で演じなきゃいけない役割を離れて、個人対個人で付き合っている、という感じがしたんです。

中島 特に昔の女の人だと、妻や母という役割が自分というものの多くを占めているでしょうから。

朝倉 だからでしょうね、母は読書会にすごく行きたがるんですよ。熱が出ても行こうとするので止めるのが大変でした(笑)。うちの母親はしょっちゅう生きがいだ、生きがいだと言うんですね。あんまり言われると、言葉って軽くなるじゃないですか。だから「そうなのー?」とか言って聞き流していました。でも、この小説を書いていくうちに、確かに母にとって読書会が生きがいだったんだな、ということが腑に落ちました。