中島 やってるって(笑)。泣かせてしまうシーンだからこそ、冷麦が大事なんですよね。冷麦を茹でないとそういう話をさせられないというような、作家としての判断があった?
朝倉 そうですね。ああいう話をするのは、何かをしながらじゃなければダメなんですよ。面と向かって、膝を突き合わせて、ではなくて。
中島 そこに朝倉さんらしさというか、朝倉さんの語りの妙味を感じました。
朝倉 じゃあじゃあ、私も! 中島さんは、出し入れがすごくうまいんですよ。場面とか登場人物とか、情報の出し入れだけで全部が演出できちゃうから、中島さんだったら冷麦を茹でなくても大丈夫。
中島 そんなことない(笑)。出し入れについては考えたことがないけれど……。
朝倉 要素がすごく自由に動くんですよ。小説って平面に書かれた文章を読むわけなんだけれども、読んだ時に平面のままの小説って結構多いの。だけど中島さんはすごく立体的なんですよ。それは、魔法みたいな出し入れのおかげだと私は思っている。
中島 それを言ったら『よむよむかたる』は、魔法みたいな出し入れがされている小説です。
朝倉 できているとしたら、プロットをめっちゃちゃんと作ったからです。
中島 作っているの? プロットは作らない派だと思っていました。
朝倉 驚くなかれ、ですよ。今回から、プロットを作るようになったんです。先にプロットを作っておくと、文章に集中できるから次の作業がラクだということに気づいたんですよね。まあ、「今回から」と言いつつ、次はまだ何も出てきてないんですけど(笑)。
『だれも知らない小さな国』が大人に染みるのは、流れる時間のせい?
中島 〈坂の途中で本を読む会〉のみなさんは、児童文学の名著である『だれも知らない小さな国』(佐藤さとる)を課題図書にしていますよね。あの話の中に出てくる「こぼしさま」、コロボックルのことを、読書会では〈おみとりさん〉だと解釈します。助かる見込みのなくなった人のもとにどこからともなく現れてお看取りをしてくれる、そういう存在が〈おみとりさん〉だという説明がありますが、北海道では普通に知られている言葉なんですか?