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「世の中を思う方向にもっていこうとしても力がなきゃできないんだ。俺には幸か不幸か1000万部ある。それで総理を動かせる。政党勢力も思いのまま、所得税や法人税の引き下げも読売が書いた通りになる。こんなうれしいことはないわね」

新聞を武器に世を動かそうとした

 遂に権力を握ったナベツネは新聞を武器に世を動かそうとした。「憲法改正読売試案」の発表(1994年)、政府の審議会や有識者会議などへの参加、2007年の自民党と民主党の大連立構想の主導などなど、数え上げたらキリがない。

 私は常々「読売の社説はナベツネの顔を思い出しながら読むと面白い」と提唱してきた。わかりやすい例もある。2015年の12月に「新聞の軽減税率」問題があった。朝日新聞の社説は《私たち報道機関も、新聞が「日常生活に欠かせない」と位置づけられたことを重く受け止めねばならない。》と新聞の税優遇にどこか気まずそうだった(2015年12月16日)。

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 しかし読売の社説はまったく照れがなかったのだ。《新聞と出版物は、民主主義の発展や活字文化の振興に貢献してきた。単なる消費財でなく、豊かな国民生活を維持するのに欠かせない公共財と言える。こうした社会的役割を踏まえ、日本でも、新聞と出版物に軽減税率を適用すべきである。》(2015年12月13日)

©文藝春秋

亡くなる直前まで社説に目を通した

 これはナベツネが言ってるに違いない、と思って読めばよいのだ。そういえば訃報を伝えた読売に注目すべきことが書かれていた。毎年恒例の元旦の社説についてだ。

《渡辺氏はかつて自ら筆を執り、近年も細かく指導を続けていた。今年も12月12日、老川祥一論説委員長が病室を訪ねて元日社説の草稿を説明した際、渡辺氏は眼鏡をかけ直して熟読し、「それでよい」とゴーサインを出した。》

 やはり昇天直前まで社説に関わっていたのだ。読売とはナベツネそのものなのである。権力者となったナベツネの言動には論じることが多すぎるが、一方で新聞記者魂を感じたのが「西山事件」(1972年)だった。