鹿児島へ帰りたいと思った理由
じつはこのとき、メキシコにもう1年いるかどうか家族で話していたのだが、彼女は「帰りたい」と両親に伝えたという。その理由の一つは、鹿児島で習っていたバレエの発表会の映像を見て、「ここにいたらみんなから遅れちゃう」と思ったことだった。ほかにも、理由のわからない胸騒ぎもあったという(『婦人公論』2021年10月12日号)。
妹とそろって「東宝シンデレラ」に合格、中学生でデビュー
ミュージカル教室の恩師の勧めで、「東宝シンデレラ」オーディションに2歳下の妹・萌歌とともに応募したのは、メキシコから鹿児島に戻った翌年、2010年のことだった。ただ、二人とも受かるとはまったく思っておらず、せいぜい《2次審査は福岡に行けるとか、最終まで残ったら東京に行けるっていうことが楽しみで》いた程度だったという(『anan』2020年9月2日号)。それが年が明けて2011年、同オーディションで審査員特別賞に選ばれ、グランプリを受賞した妹とそろって芸能界入りのきっかけをつかむ。同年にはNHKの大河ドラマ『江~姫たちの戦国~』で俳優デビューを果たした。
デビュー当初は中学生で、仕事があるたび鹿児島から東京に通い、行き帰りの飛行機ではずっと勉強ということもしばしばだった。それでも地元には愛着があるだけに離れるのが嫌で、2013年、高校入学のタイミングでようやく腹をくくって上京する。折しもこれと前後して、大きなチャンスが巡ってくる。映画『舞妓はレディ』(2014年)の主演を決めるオーディションだ。
この映画は監督の周防正行が15年以上かけて取材など準備を進めていた企画ながら、この時点で決まっていたのはタイトルだけで、まだ脚本はなかった。周防によれば、オーディションでこの子だと思えるヒロインが見つからなかったら企画自体をやめるつもりでいたという。そこへ現れたのが上白石だった。周防はこのときのことを次のように振り返っている。