第一志望以外の学校に進学した子どもは、そこでしか出会えない友達や先生と出会い、そこでしか見られない景色を見て、そこでしか得られない経験をするはずだ。それが神様からの贈り物。その贈り物に気づけたとき、その学校に通わなかった人生などもはや考えられないと思える。そうなれば、その学校がそのひとにとっての最善だったことになる。
第一志望に合格すれば、努力が報われる成功体験になる。自分の学校に誇りをもてることも請け合いだ。一方で、もしかしたら、理想と現実のギャップを感じることがあるかもしれない。でもそれこそが、第一志望に合格したひとに神様から与えられた課題だ。その課題をクリアしたときに得られるものこそ、神様からの贈り物だ。
「しあわせの扉が一つ閉じたとき、別の扉が開きます。いつまでも閉じた扉を見てしまい、せっかく開かれている扉になかなか目が向かないことも多いのですが」(ヘレン・ケラー)
12歳の子どもが勉強する最大のモチベーションはほとんどの場合、親の笑顔
人生においてはときどき、一応の「結果」が出ることがある。でもその結果は、人生の一瞬の状態を写した一枚の写真にすぎない。そこにどんな解釈を付け加えるかは、常にそのあとの生き方が決める。中学受験は12歳にしてそんなことを学ぶ絶好の機会でもある。
自ら塾に行きたいと言い出したって、あの学校に行きたいから頑張るんだなんて言っていたって、結局のところ12歳の子どもが勉強する最大のモチベーションはほとんどの場合、親の笑顔が見たいから。
逆にいえば、どんな結果であれ最後に親御さんが心から笑顔になってくれれば、それが子どもにとっての「サクラサク」。それまでの努力のすべてが報われた気になれる。望んだとおりの結果が出たから笑顔になるのではない。自分にとって大切なひとたちが笑顔になってくれているから、どんな結果にも誇りがもてるのだ。それが12歳の受験である。
心の整理ができるまで、ちょっと時間がかかってもいい。中学受験生の親の最後の仕事として、気高き12歳に、満開の桜を見せてあげてほしい。そうすれば、大冒険のエピローグはすべてハッピーエンドにできる。
