さっそく、駅前に出てみると……。まあその、取り立てて何か語るべきものがあるということはなさそうだ。
いや、もちろんど田舎の無人駅ではないから住宅地は広がっているし、駅前にはコンビニがあったりロータリーがあったりはするのだが、他は特に何もなし。北口は比較的最近になって整備されたと思われる新しい広場が待っている。
その脇には2011年にオープンしたE'site 籠原という商業施設もあって、ローソンと日高屋、タリーズコーヒーが入っている。だから間違って籠原駅にやってきてしまっても、昼間ならばそれなりに暇を潰すことはできそうだ。真っ昼間から間違えて籠原駅に来るなんてことがあるかどうかは別のお話である。
その商業施設の近くを歩いていたお爺さんに話を聞いてみると、「いや~、この辺に住んでいる人でわざわざ駅前の店に行こうと思う人はいないと思うよ。だって仕事してる人は高崎とか大宮、東京まで行っちゃうし、飲んだり食べたりは職場の近くで済ますでしょ。
ずっと家にいるのは年寄りと子どもと奥さん方ぐらいだから」と言う。しばらく南に歩くと熊谷工業団地があり、通勤駅としての機能も持っているようだが駅前の賑わいにはつながっていない。
階段の裏側にひっそり……
このあたりで、籠原駅の歴史を改めて振り返ってみよう。籠原駅の開業は1909年。
高崎線が通ったのは1883年だから、それから26年後の駅誕生だった。お隣の熊谷駅と深谷駅はどちらも中山道の宿場町としての歴史があり、その中間の籠原に駅ができないのもうなずける。
地元の大正寺というお寺が中心となって請願した結果の籠原駅誕生だったという。駅の北に10分ほど歩けば旧中山道が通っており、籠原には宿場ではなく立場(街道の休憩所)があった。駅周辺は新堀という地名だが、籠原駅になったのは立場の名に由来するという。
駅ができたおかげで少しは集落も生まれたようだが、本格的に住宅地になっていったのは戦後の1970年代以降。車両基地も生まれ、東京にも意外と近く(1時間ちょっと)、ベッドタウンとして人口を増やして今に至った。
ただし、そんな歴史を感じられるポイントはあまりない。北口のロータリーに続く階段の裏側にひっそりと開業の経緯が刻まれた案内板があるくらいだ。籠原駅の旅は、意外にあっけなく終わってしまった。
が、これだけではさすがにつまらないので、お隣の熊谷駅にも足を伸ばして(というかひと駅戻って)見ることにした。
籠原駅も熊谷市内の駅のひとつだし、熊谷のベッドタウンという位置づけでもあるようだ。だから“本家”熊谷を知っておいても損はない。というか、何もない籠原だけで帰ってしまっては、なんかちょっと損した気分になりますしね。
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あまりにひっそりと書かれていた「籠原」の歩み。しかし、その光景は“本家”の「熊谷」を知ることで一変することになった。後編に続く。

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