『日本の気配』(武田砂鉄 著)

 デビュー以来、武田砂鉄の本には概ね目を通してきたが、読むたびに、この人は本当にひねくれてるなぁと感心させられる。私も多少ひねくれ者の自負があり、他人とちがうことをやって世の中の価値観を揺さぶってやろうという気概を持っているつもりだが、彼と比べると自分のひねくれぶりなどあまりに不徹底で、つい反省してしまう。ひねくれ者に敗北感を抱かせるのだから、これは立派なものだ。今のところ武田砂鉄こそ日本ひねくれ界の王者(チャンピオン)と呼んで差し支えないだろう。

 本書でもそのひねくれぶりは存分に発揮されている。いや、気配などという実体の捉えにくい大衆心理をほじくり出そうというのだから、まさにひねくれ者の本領発揮だ。この国の大衆心理によって作り出される全体的な動向は今、極めて怪しい方向に進んでいる。誰もがおかしいと思いながら、その流れを押しとどめることができない。奇妙な同調を見せながら、劣化し、淀み、腐敗し、ドプドプと濁った音を立ててひとつの方向へ流れ下ろうとする時代の動きに、武田砂鉄は言葉の力を信じて異議を唱えつづけるのだ。

 一般的に空気と呼ばれる全体的な大衆心理の動向を気配と捉えなおしたところに、彼の視点の鋭さは現れている。気配とは空気の前触れだ。ここを彼は問題視する。気配という前触れは空気より感知しにくく、つい見逃してしまいがちだ。政治家の鈍感な失言、SNSでのやり取り、有名人の不穏当な本音。こういった細かな言葉の数々をわれわれは「しょうがないよね」と変に大人ぶって寛容しがちである。しかし世の変化は一気に起こるのではない。いつだって一人一人の身の回りにおきる小さな振る舞いや言動が積み重なり、それが醸成して大きな変化になる。小さな言動を変に寛容すると気配は空気となってこの国をつつみこみ、気づくともう手遅れになっているのだ。だから武田砂鉄は一つ一つの言葉遣いをとらえて問題視していく。

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 しかもその批評の切っ先は政治家や有名人ばかりでもなく、おのれにも向かう。大衆の気配に異論を唱える以上、自分に齟齬があってはならない。彼はその覚悟で様々な言葉に絡んでゆくが、だがそれでも一人の人間なので突発的な出来事に遭遇したときに気配に同調し、許容しようとする自分を発見する。彼はそうした自己さえも俎上にのせ、空気を作り出す一つの類型として断罪するのである。こんなストイックなひねくれ者は他にいない。

 これは大変な仕事だ。この視点こそ今の時代に必要なのだとも思う。つっぱって大衆と異なる見解を表明する。そのためには自分の意見を信じる自信と胆力、他人を納得させる説得力が必要なのだから。それはお前の頭で考えたことなのか? そんな囁きが聞こえる一冊だった。

日本の気配

武田砂鉄(著)

晶文社
2018年4月24日 発売

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