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70歳になった井上陽水。「紅白は恥ずかしい」発言とは何だったのか?

5代目志ん生のようにあふれ出す“ユーモア”

2018/08/30

父の葬儀後につくった「夢の中へ」

 福岡県・筑豊の炭鉱町で生まれ育った井上陽水(本名は「あきみ」と読む)は、1969年にアンドレ・カンドレの名でシングル「カンドレ・マンドレ」でデビューした。本当は芸名もカンドレ・マンドレにするつもりだったが、東京から福岡のラジオ局に赴任していた人に「“マン”ドレはよくないんじゃないか」と言われてやめたという冗談のような話も残る。

 結局、アンドレ・カンドレは鳴かず飛ばずのまま、1年ほど活動休止期間を経て、1972年、井上陽水として再デビューした。デビュー曲「人生が二度あれば」で歌われた父親は翌年亡くなる。初のヒット曲「夢の中へ」は、その父の葬儀が終わった直後につくったものだという。1973年にリリースした3rdアルバム『氷の世界』は、日本初のミリオンアルバムとなった。

20年前、50歳を迎える前の井上陽水と吉田拓郎 ©文藝春秋

運転免許を持たずにクルマのCMに出演

 80年代には、中森明菜の「飾りじゃないのよ涙は」や安全地帯の「ワインレッドの心」など、ほかの歌手に提供した曲もヒットし、人気が再燃する。それまで出演しなかったテレビにもしばしば登場するようになったのもこのころだ。1988年にはクルマのCMに出演し、窓越しに言う「お元気ですか~」のセリフが流行したが、昭和天皇が重篤になるとその声がカットされた。

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 ちなみにこのCMで陽水は助手席に座っている。当時、運転免許を持っていなかったからだが、それにもかかわらずクルマのCMに出てしまうのが彼らしい。もっとも、その数年後には、免許を取り、クルマを乗り回すようになるのだが。30代半ばで酒を飲み始めたことといい、彼はセルフイメージをさりげなく覆すことに喜びを見出しているようだ。

 その後、90年代には「少年時代」やPUFFYに提供した「アジアの純真」などがヒット。近年は、友人・タモリの出演する番組『ブラタモリ』にエンディングテーマを提供し続けているほか、この7月には9年ぶりの書き下ろしシングル「care」がリリースされたばかりである。

「鰻屋の2階で落語をする」スタイルへ

 あらためて陽水が醸し出すおかしさについて考えると、落語の世界の「フラがある」(持って生まれたおかしみ、愛嬌といった意味)というのに近いかもしれない。それも歳を重ねるごとに増しているような気がする。フラがある落語家といえば、5代目古今亭志ん生はその代表格だが、いまから25年前、陽水は自分の将来について訊かれたとき、志ん生の名をあげて次のように語っていた。

《落語の世界なら、相当高齢者が、例えば志ん生がお弟子さんに抱えられるように鰻屋の2階だとかに上がっていってやったりするそうだし、あれもいいもんだなぁって思うこともあるんですよ。鰻屋の2階で、7、8人で聞く志ん生もいいもんだ、なぁんて言って》(※2)

 古希を迎えた陽水は、まさにそんなスタイルが似合う域に達しているのではないか。鰻屋の2階で、ごくわずかの客を相手に曲を披露する陽水。含羞の人らしい。想像するだけで、笑いがこみあげてくる。

※1 えのきどいちろう編『井上陽水全発言』(福武書店)
※2 井上陽水『媚売る作家』(角川書店)

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