
■企画趣旨
働き方や価値観が急速に多様化する現代社会において、「労働組合」の存在意義と価値が今、あらためて問われています。かつては労働条件の改善や不当な扱いから労働者を守る「闘う組織」としての役割が中心でしたが、近年では企業と労働者の“共創パートナー”として、組合に求められる役割も大きく変化しています。
人的資本経営や働き方改革、ダイバーシティ、AI・DXによる業務変革といった時代の潮流の中で、組合が組織としてどのように対応し、進化すべきか。組合員にとっての価値をどう再定義し、組織内外との信頼あるコミュニケーションを築くべきか。
第3回目の開催を迎えるシリーズカンファレンス「労働組合のあるべき姿」では、以下の観点から、労働組合の将来像を探索します。
✔ 労働組合の存在意義と進化する価値
✔ 組合活動の活性化に向けた課題と打ち手
✔ 経営と協働、組合員同士のコミュニケーション戦略
✔ 次世代に向けた組合の将来像と期待 など
組合役員・関係部門の皆様が、これからの組合の在り方を再考し、組織としての存在価値を高めていくためのヒントを考察した。
■基調講演
クミジョ応援係長と考える労働組合の未来
~組織論の視点から~

武庫川女子大学経営学部教授
日本郵政グループ労働組合(JP)クミジョ応援係長
K2P2(クミジョ・クミダン パートナーシップ プロジェクト)共同代表
本田 一成氏
博士(経営学)。専門は人的資源管理・労使関係。近年の研究テーマはクミジョ(労働界でがんばる女性)。「冲永賞」「多田幸正賞」「日本商業学会優秀賞」「日本労務学会学術賞」「日本労働ペンクラブ賞」など。近著に『2050年のクミジョはプレミアムか、それともペナルティか?』『生活経済政策』(2025年3月)、『メンバーシップ型雇用とは何か』(旬報社、2023年)、『ビヨンド!KDDI 労働組合20 年の「キセキ」』(新評論、2022年)、『写真記録・三島由紀夫が書かなかった近江絹糸人権争議』(新評論、2019年)など。
経営学の「U理論」=MITのシャーマー教授たちが提唱する問題解決理論を使って、組合という組織を考察してみた。ダウンローディングではなく、シーイング(現場を凝視する)⇒センシング(先入観からの離脱を感じる)⇒プレゼンシング(物事の解決のきっかけが露出してくる)を経て、U字のように問題解決の段階に上がって行く理論。芸術家もこれを行っており、プレゼンシングの先にクリエイティブな)作品がある。
私は170人以上のインタビューを行っているが、それがシーイングだ。本日は、それに依拠して話をする。
◎労働組合を組織論で考える
労組とは「変革」が難しい組織だ。当面つぶれそうにない/主力や多くの人材に任期がある/「一枚岩」「みんなのため」の組織/伝統や作法を崩しがたい組織/男性型の組織(保守的、OBネットワーク、前例主義、ジェンダーギャップ)、といった特徴を持つ。そして、ジェンダー平等や女性活躍も変革なのだ(だから組合は変革が難しい)。
クミジョ・クミダン問題から組織不全が見えてくる。クミジョ増強に失敗するクミダンの誤解ワースト3は、(1)女性が努力すべき、活躍すべきという信念 (2)取り組みの即効性を妄信 (3)クミジョの増員こそが至上命題、である。
クミジョを増やせないほどの組織不全を改善するには、経営学で言う“Dケイパビリティ”が有用だ。ケイパビリティとは組織能力のこと。オーディナリー(従来と同じ)ケイパビリティではなく、ダイナミックケイパビリティで変革する。変革・再配置で新しいビジネスモデルを構築し、環境変化・市場・競争に次々と対応するのである。

◎女性の当事者性とウーマンパワー政策/次世代(労働力急縮時代)をどうする?
1940~2020年代まで、さまざまなウーマンパワー(WP)政策、国策があった。下記の表のように出来事、キーワード、クミジョ例などを時系列で追ってくると、今日に至るまで女性の当事者性はあまり発揮されていないままきていることが明確にわかる。現状はジェンダーギャップ指数そのまま。男性は変わっていない、変わっていないという批判のある状態である。

2025年の生産力人口(15~64歳)は7026万人だが、2050年には4952万人になるという試算がある。そのうちの労働力人口はどうなるか。また、外国人(の労働力)を上乗せした場合にどうなるか。このことを考える上で、女性や高齢者は重要な要素だ。
最後のWP政策が迫っている。2050年以降は打つ手がない。2050年、労働力人口1000万~2000万人消失で労働力が欠乏する。最有力対策は再び(最後の?)「ウーマンパワー」政策になりそうだ。女性は売り手市場となり、待遇や選択肢、柔軟性が上がる。でも日本は本当にそうなるだろうか。女性はこれまで通りの可能性もある。もしそうであれば、労働市場不全で日本沈没もありえる。
社会的合意⇒ジェンダー平等/女性の人権/共生。この二つをビルトインして、雇用制度と慣行/労働法制度/社会法相制度の改革を行う。この原動力のひとつとなるのが、「コンシャス・ユニオン」すなわち意識と組織能力が高い労働組合である。「女性、クミジョの能力が低い」などと言っている場合ではない。クミジョの増強こそが打ち手である。
・労組の組織は、小さな改善も大切ですが、大局観も問われます。
・クミダンにとってもクミジョの代表制、当事者性は不可欠です。
・あなのたの組織のクミジョはペナルティ?プレミアム?
・2050年の日本沈没って信じます?
・現世代は乗り切れても、次世代はどうなるでしょう。
・中途半端にやらず、大胆に挑みましょう。
・いつでもお手伝いします。またお会いしましょう。

■課題解決講演
~“伝わらない、関心がない”をどう変えていく?~
「情報浸透」の再設計で作る強い組合組織

株式会社ヤプリ
取締役執行役員COO
山本 崇博氏
2019年(株)ヤプリ入社。現在取締役執行役員兼、ビジネス統括本部を管掌。それ以前は、外資系広告代理店、ゲーム会社を経て、前職の(株)アイ・エム・ジェイでは、執行役員として、マーケティングコンサルティング部門を牽引。製造、通信、放送、流通、教育、金融など多業種に渡るクライアントを支援。
「デジタルを簡単に、社会を便利に。Moble tech for all」を標榜しているヤプリ。従業員エンゲージメント向上=労働組合の存在価値の向上、組織とのつながり強化に適した「Yappli UNITE」を利用する企業も続々と増加中だ。
福利厚生とインターナルコミュニケーションを自社アプリで一体化させた新時代のEXプラットフォームが「Yappli UNITE」。自社アプリで組織をひとつに。新しい福利厚生と情報共有が実現する。
◎労働組合が持つ課題と情報浸透の最適化
限られたリソース内での活動の中、情報の浸透・共感に苦戦している組合は多い。組合とのつながりが希薄化し、組合役員のなり手不足も課題になっている。組合活動を周知する手段がない/組合ホームページ(HP)、情報が見られない/兼務役員の業務負担が大きい/一体感を醸成したい、といった声も多く寄せられる。
リッチな表現で、ストックに強いアプリなら確実に伝わる。アプリは伝わるのが早く、情報も蓄積可能。紙やHP、チャットに比べて気軽さ/情報共有の速さ/ユーザビリティ/アクセシビリティに優位性がある。

アプリを開くだけで簡単に情報が閲覧可能。さまざまな場所に点在する情報をアプリに集約し、簡単に、わかりやすく伝えられる。WEB表現の枠にとらわれず、スマホならではの表現・操作体験で今までの仕事ツールにない情報接点になる。具体的に言えば、ホーム画面のアイコンから組合情報に簡単にアクセスでき、サクサク閲覧できるので組合員が情報を探しやすく、プッシュ通知で必要な情報をリアルタイムに手元に送れる。
◎アプリ導入事例からみる施策と効果
後半部分では、アプリ導入事例による施策と効果について、労働組合での使用状況などを踏まえながら説明があった。

なお、活用状況がしっかりと見えるダッシュボードがあり、アプリの利用状況の確認や課題の可視化、エンゲージメントスコア分析もできる。本日は情報共有面を主に紹介したが、福利厚生面の課題も解決できる。例えば、参加型の社内ポイント付与活動「ウェルポイント」は、企業の人事戦略や想いに沿った設計ができ、社員自らが楽しんで参加できる社内ポイ活となっている。
Yappli UNITEで従業員エンゲージメントを高める企業が増えている。最前線で働く現場社員へ自社アプリを提供し、イキイキとした組織作りを。
■特別講演
労働組合の存在意義 ―わがままをいえる組織、人それぞれの価値観が共存する組織へ
~ビジネスパーソンは労働組合を「使いたおして」もっと豊かに!~

立命館大学産業社会学部
准教授
富永 京子氏
1986年生まれ。立命館大学産業社会学部准教授。専攻は社会運動論。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了後、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2015年より現職。著書に『社会運動のサブカルチャー化』『みんなの「わがまま」入門』『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史』など。
日本版総合的社会調査(JGSS)の調査では、労働組合は市区町村議会議員や国会議員、宗教団体よりも信頼度が高く、中央官庁とほぼ同等だ。そして「わからない」とした人が最も多い(約3割)のが労働組合でもあった。連合総研のホームページには、「自社に労働組合があるかどうかわからない」とした人が2003年の9.7%から22年には21.8%に増えた、というデータが掲載されている。
「信頼できない」「怖い」「嫌い」ならまだ内容を理解されているが、実はそれすらなくなっている?なぜ日本の社会は労働組合が「わからなく」なってしまったのか、どうすれば労働組合の重要性や意義を共有し、より生産性のある職場を掲載できるのか?私の目下の関心事項である。
日本は「苦労すること」が前提の社会であり、「働かせてもらっている」が前提の労働観だ。失業者対策や低所得家庭の大学生への援助は政府の責任、と考える人も、他国に比べ日本には少ない。「自己責任論」の影響を強く受けているのだ。
声を上げることが忌避され、「自力で頑張る」こと=自助が前提の社会では、労働者として順応することが最適の選択肢となってしまうし、そもそも職場に対抗する、提言するという選択肢が思いつかない。だからこそ、労働組合の意義も「わからない」のだ。他人に迷惑をかけてはいけない。自分を棚に上げるやつと思われたくない。「自己責任でしょ?」と言われたくない……。だからこそ、批判・対抗したくないし、後ろ向きな意見を言いたくない、のである。
しかし、批判や意見は職場を改善させ、人々が健全に働き、職場を活性化させるための重要な要素だ。だから、働く人々が自分の中に不満や不平を押し込めてしまうのは大きなマイナス。「わがまま」をいとわず言う必要がある。でもこうした当然の前提が、日本社会においてなぜ共有されづらくなってしまったのだろうか?
ますます進む「個人化」がその要因のひとつだと考える。性別、世代、国籍、世帯年収、非正規/正規、勤務のあり方などが多様になり「価値観の押しつけにならないか心配」「この主張、私の“わがまま”になってしまうのではないか」と考える人が増えてきた。
本当は同じなのに、そうと言えない社会になっている。同じような悩み(貧困)を抱えているはずなのに、その現れ方が少しずつ違う。しかも他者と悩みの値を共有できないために「これって私だけ?」と感じてしまう。「悩み」そのものが個人化しているというより、それを個人的なものと思い込んでいて、他人と共有できない状況がある。
悩みを共有することが難しいため、解決策も個人的な方法になりがち。そのため「頑張る」か「やめる」かの二択になってしまう。仮に他者と共有できたとしても、集合的な問題解決の手法は「迷惑」「努力不足」として回避される。そのため「愚痴る」にとどまってしまう。悩みが共有できず、解決の手法が限られてしまう。
こうなったのは、地元を離れる若年層が増加しそのまま労働力となり、人々が地縁・血縁に支えられるものではなくなったからだ。自治会、町内会の衰退、組合組織率が低下し、自治や共助といった理念が根付きづらく、そのぶん自助に依拠しなければならなくなった。だからこそ、苦しみや悩みを抱えていても「これって私だけ?」と感じてしまうし、それを共有できる・助け合える場がない。
・労働組合、そもそもよくわからない
・労働上の問題を「自己責任」と捉える風潮
・利害がばらばらになっている今、「組織」や「集団」を通じて何かを解決したり、助け合いをすることに対するイメージがわかない
この状況を打破するためにどうするか。大学や地域の自治会、町内会、あるいは路上での抗議行動など、社会運動を目にする機会が減少した今、生活の場から細々とでも政治参加や社会運動の練習をすることが重要だ。労働組合や労働運動は、自分自身(の利害)を大切にする営みでもあるし、それを超えて、職場を改善・信頼し、職場・社会の生産性を向上する過程でもある。
「長時間労働だけど過労死レベルじゃないからいっか」「貧困だけど生活保護もらうほどじゃないから黙ってよう」ではなく、小さなことでも「困っている」と認識して声を上げていくことが大事だ。小さいことから言っていかないと、どんどん「わがまま」が言えなくなっていく。労働運動や社会運動は、まさにこの「困っている」と言える社会を作るためにあるのではないか。
「傘立て一つ置いてくれ、クーラー一つ付けてくれ」でいい。ちょっとしたことのほうが聞き入れられやすい。成功体験を積むということは、社会運動に慣れる上でも重要だ。身近なことから声を上げるトレーニングをし、日々の生活で「声を上げる」経験を重ねれば、「こわい」「ヤバい」と感じていたものもこわくなくなる。
労働運動=「こわい」「ヤバい」「古い」「宗教みたい」……。そんな偏見のために我々が変わる必要があるのだろうか?変わるべきは、声を上げることに対してそれほどの偏見を持っている人々(私たち自身でもあるのかもしれない)のほうではないのか?
最後、まとめのスライドは以下。

2025年5月14日(水) 会場対面・オンラインLIVE配信でのハイブリッド開催
source : 文藝春秋 メディア事業局

