田辺聖子 しゃべるように書く人

綿矢 りさ 作家
エンタメ 読書

平成16(2004)年に「蹴りたい背中」で芥川賞を受賞した綿矢(わたや)りささんが師と仰ぐのは、ちょうどその40年前、昭和39(1964)年に同賞を受賞した田辺聖子(たなべせいこ)(1928―2019)。純文学、歴史小説、古典の翻案から、おせいさん(田辺)とカモカのおっちゃん(夫の故・川野純夫さん)とのユーモラスな掛け合いのエッセイまで、幅広い作品群で読者を獲得し続ける「田辺先生」への思いを綴る。

 物語を書き始めたのは、物語を読むのが好きだったから。田辺聖子先生の小説は私が産まれたときから、家の本棚にあった。母と叔母が、大ファンだったのだ。2人とも大阪出身なので、大阪弁で恋愛の情緒をほろ苦く描く田辺先生の作風が、なじみ深くしっくりきたのだろう。私ももちろん大好きで、物の見方や生き方にも影響を受けた。

 田辺先生の小説には、働く独身女性がとてもチャーミングに描かれている“ハイミス”ものが多々ある。仕事で嫌な出来事があったり、人生で悩みごとがあふれて全て放り出して生き方の路線をがらりと変えたくなったときに“いやいや、おせいさんの小説では私みたいな境遇の女性があんなに生き生きしていたではないか。気持ちさえ変えれば、きっと上手くいくはずや”と自分に言い聞かせて考え直せるほどに好きだ。どこが魅力かというと、主人公の彼女たちは心が鋼(はがね)のように強いバリバリのキャリアウーマンではなく、もののあわれに敏感な、たおやかな精神の持ち主であるところ。しかし表裏一体で、大阪の女の人らしく、どこか厚かましくてひょうきんだ。自分に自信があり、たっぷりと思い上がっていて、どん底の状況でもおもしろい出来事があれば笑わずにはいられない。

田辺聖子 ©文藝春秋

 田辺先生に初めてご挨拶をさせてもらったのは、芥川賞の授賞式だった。緊張しすぎて青黒くなっていた私は、ろくな言葉を言えなかったけれど、田辺先生がほかの女性の作家と、原稿をいついつに仕上げたと話されているのを盗み聞きして、めっちゃカッコ良いなと思っていた。田辺先生の挨拶のときの声は、やわらかい高いトーンの関西弁だったが、原稿の話をしているときは少し低く職業の意識のにじみ出た才気を感じる声だった。たとえるなら、わたあめとビターチョコレートのような。

 同じことを、もう13年ほど前になるが、田辺先生と対談させてもらえるとのことで、ファンにはおなじみで憧れの田辺邸におじゃましたときにも思った。対談中の、少女のころに好きだった小説の話や趣味で集めているアンティークのお人形の話のときなどは、チャーミングな声だったが、創作の話の胆の部分になると少し声が硬質になる。田辺先生の小説は流麗な語り口の主人公が多いが、その文体に重なるようでどきどきした。

 他に印象的だったのが、エッセイはどう書かれるんですかとお伺いしたとき、「頭の中で人物たちが勝手に会話し出すの」と仰(おっしゃ)っていたこと。私はエッセイとは日常にあった興味深いことを頭のなかにメモしておいて、後日文章に起こすものだと思っていたから意外だった。しかもその人物というのが、スヌーピーのぬいぐるみだったりする。私も、私の持ってる人形とか枕とかガムテープとかが話し始めてくれたら嬉しいけど、やっぱりそんなことはない。どんなものからもお話を聞き取れる才能が、たくさんの物語を生む源なのかもしれない。

改行の間に潜む観察眼

 しゃべるように書く人。私は田辺先生の小説の、改行の量も好きだ。一文と一文の間に、わりとたっぷり取ってあるのだが、こちらの様子を窺いながらじっくり語りかけてくる、余裕のある雰囲気がたまらない。たくさんの小説の中から抜き取った一文で構成されている田辺先生の名言集は、いまでも続々と新刊が出ているが、小説のなかで読者を立ち止まらせる鋭い観察眼の一文が、改行と改行の間に潜んでいるのが読んでいて快感だからだろう。

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source : 文藝春秋 2017年7月号

genre : エンタメ 読書