埴谷雄高 「死霊」の巨人に𠮟られた

立花 隆 ジャーナリスト
ニュース 社会

20世紀文学の金字塔、思弁的大作『死霊』を遺した埴谷雄高(はにやゆたか)(1909―1997)。ノンフィクション作家の立花隆(たちばなたかし)氏が経験した忘れがたい「激論」とは。

 埴谷さんにはじめてお会いしたのは、1975年、私はまだ35歳だった。埴谷さんは66歳、論壇でも文壇でもすでに大御所として重きをなしていた。私は、その前年の「田中角栄研究」によって、多少は世に知られる存在になっていたとはいえ、駆け出しのルポ・ライターにすぎず、埴谷さんの前では、すっかり固くなって、ろくに口も利けなかったと記憶する。最初に「先生」と呼びかけたら、いきなり「ぼくは先生じゃありません」と、ビシっと強い口調で叱責されたことをよく覚えている。

 お会いしたのは、吉祥寺の昔の都営住宅のような、同じ作りの小さな住宅がズラリとならぶ一角だった。その日は、月刊「現代」に連載してきた「中核VS革マル」を単行本にまとめるにあたって、推薦文を帯に書いてもらいに出かけたのだ。私のような安保世代の文学的政治青年にとっては、埴谷さんといえば、ほとんどカリスマといってよいほどの影響力を持つ人だったから、そんな人に帯を書いてもらうなどとても恐れ多くて考えもつかないことだったが、担当編集者がいとも気軽に、「いやあの人はちゃんとした原稿を書いてもらうのは大変だけど、帯だとわりと気軽に書いてくれるんです」と頼んでくれたのだ。

埴谷雄高 ©文藝春秋

 そこからはじまった埴谷さんとの交流はいろいろあるが、思い出深いのは、「太陽」92年6月号が「世紀末の予言者 埴谷雄高」という大特集を組み、そこで「生命の根源から人類の窮極へ」という延々12時間に及ぶ大インタビューを行ったことだ。それは原稿に起すと500枚にもなったが、雑誌ではうち100枚分しか収録できなかった。もったいないので、それから5年後にさらに350枚分を収録して作ったのが2人の対話本『無限の相のもとに』だ。それは埴谷さんの思想のすみずみ、生活と人生のすみずみまで聞くものとなったから、昼すぎからはじめて、真夜中すぎに終ったときには、2人ともクタクタになった。長らくロングインタビューをこととした私としても、あれほど疲れたロングインタビューはなかなかない。

 著書と対話を通して受けた教えはいろいろあるが、なんといっても記憶に深く刻みこまれているのは、新宿の文壇バー「アンダンテ」における激論である。その日私は新宿のホテルに3日間泊りこんで、スプーン曲げの達人こと自称超能力者清田某をカンヅメにして、超能力を徹底検証するTV番組を作っていた。

 それは一見まことに見事な技で、ほんものとしか思えなかった。スプーンが曲がる瞬間と全過程をTVカメラのクローズアップ映像で、万人が注視する中切れ目なしに完全収録して、超能力論争に結着をつけたいというフジTVの企画で、私は証人役(4人いた)として撮影現場をフルにウオッチしつづけることを求められていた。初日の撮影が終って、スプーンは何度も曲がったが、いずれも収録できたのはスプーンが少し曲がりはじめてからで、完全にフラットな状態のスプーンが突然曲がりはじめるその瞬間をとらえた映像はひとつもなかった。しかし、清田某のスプーン曲げ全体はいかにももっともらしい注釈付きでことがすすめられ、この段階で彼のスプーン曲げそれ自体を疑う人は誰もいなかった。私も、清田を疑ってもみなかった。

立花隆 ©文藝春秋

 アンダンテでは、いま見てきた不思議の興奮さめやらぬ思いで、清田の能力のすごさを力説した。大半の人は興味深そうに聞いていたが、そこにいた埴谷さんだけ、全く話に乗ってこず、「それはインチキです」とズバリいう。「そんなことは全部手品でできます」という。インチキでない確認を二重三重に取ったと説明しても、一向に動じない。「その男超能力者というなら、人の首を斬ってつなぐことができますか? それくらいできなきゃ超能力者ではありません」。あまりの論理の飛躍に唖然としたが、その暴論でこちらも頭を冷やされた。翌日から清田のパフォーマンスを冷静に分析した結果、インチキの動かぬ証拠の撮影に何度も成功した。それを本人に突きつけ謝罪までさせる超能力批判番組となった。後に埴谷さんからハガキがきた。「あの日は、あなたが危いところに足を踏み入れようとしているのを見て無理な議論を吹っかけました。私は手品をよくするので手品師がやることはすぐ見抜けます」。

有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。

記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!

初回登録は初月300円

月額プラン

初回登録は初月300円・1ヶ月更新

1,200円/月

初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。

年額プラン

10,800円一括払い・1年更新

900円/月

1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き

電子版+雑誌プラン

18,000円一括払い・1年更新

1,500円/月

※1年分一括のお支払いとなります
※トートバッグ付き

有料会員になると…

日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事が読み放題!

  • 最新記事が発売前に読める
  • 編集長による記事解説ニュースレターを配信
  • 過去10年7,000本以上の記事アーカイブが読み放題
  • 塩野七生・藤原正彦…「名物連載」も一気に読める
  • 電子版オリジナル記事が読める
有料会員についてもっと詳しく見る

source : 文藝春秋 2008年9月号

genre : ニュース 社会