『田中角栄研究』『日本共産党の研究』『臨死体験』……100冊超の膨大な著作を遺したジャーナリストの立花隆(1940〜2021、本名・橘隆志)は、安保闘争前年の昭和34(1959)年に東大文科Ⅱ類に入学。欧州反核無銭旅行の道連れとなる筑波大学名誉教授の駒井洋氏と出遭う。
「駒井君、ベルジャーエフって知ってるかい」
それが橘君の第一声。教養学部の自治会室での最初の挨拶だった。当時の私は、そんなロシア人哲学者の名前など知る由もなく、「東大にはすごい人がいるものだ」と思った。教養の深さでは敵いっこない。知らない本ばかり読んでいて、19歳の青年の読書量ではなかった。
当時の自治会委員長は西部邁さんだった。二人とも、共産党が嫌いという点は共通していた。それが後の共産党研究に繋がる。私が義務感から必ず参加していたデモでも彼の姿を見ることはなかった。代わりに文学研究会では度々顔を合わせた。
水戸一高の出身で、橘一族といえば御三家と縁のある名家らしい。一家は柏の光ヶ丘団地という大きな団地に住んでいた。橘君は東大駒場寮に住んでいたこともあり、私は光ヶ丘団地にも駒場寮にもお邪魔したことがある。お父さんは「読書タイムズ」の編集長だった。
「駒井君、映画を上映して原水爆禁止を訴える世界旅行をしないか」
6月下旬、日比谷野外音楽堂で開かれた安保改定阻止の大集会での突然の誘いに、私はふたつ返事で応じた。そうして、たった二人で「原水爆禁止世界アッピール運動推進委員会」を結成する。昭和35(1960)年1月末、4月からロンドンで開かれる「学生青年核軍縮国際会議」への招待状を受け取ると、渡航許可と渡航費用集めのため、怒濤の2カ月を過ごした。写真家の土門拳氏、映画監督の木下惠介氏をはじめ錚々たる文化人から多額の寄付と支援を受けた。茅誠司総長は電話一本で読売新聞から30万円もの寄付を取り付けてくれた。航空代金はひとり片道25万円。目標額100万円を超える102万円の準備金を集めることができた。現在なら500万円超の大金だ。4月6日午前10時ロンドン行きの航空機で羽田を離陸した。
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