大瀧詠一(1948〜2013)は「君は天然色」(昭和56年)など日本ポップス史に残る名曲を生み出した。そのファンは大瀧のレーベル「ナイアガラ」に因んで“ナイアガラー”と呼ばれる。半世紀来のファンであり、配信番組『大瀧詠一的』で大瀧と対話を重ねてきた思想家・内田樹氏がその功績を振り返る。
大瀧詠一さんが昭和において創り出したのは、大瀧さん以外の誰も作ったことのないもの(作ろうと思ったことさえないもの)だった。それは「ナイアガラー」である。
ナイアガラーというのは、大瀧さんの全音楽活動をフォローし、書いたものを読み、一言一句聴き洩らさずにラジオに耳を傾ける人たちのことである。大瀧さんは音楽活動というのは、アルバム制作や楽曲提供にとどまるものではないと考えていた。近代日本のポップスを明治維新から通史的に概観した『日本ポップス伝』がNHKで放送される前に、山下達郎さんとの対談の中で「これが俺のニューアルバムなんだよ」と大瀧さんは呟いたことがある。それ以上の価値のある音楽活動だった。
大瀧さんは1984(昭和59)年の『EACH TIME』を最後にニューアルバム発表がなかった。だから、ナイアガラーたちは大瀧さんのラジオ番組(『日本ポップス伝』『アメリカン・ポップス伝』『スピーチ・バルーン』『新春放談』などなど)をエアチェックして、カセットやMDに録音して、繰り返し聴いた。私は運転中はつねに大瀧さんのラジオ番組を再生している。20代末から始まった習慣だからもう半世紀を過ぎた。何を言うのか全部記憶しているが、それでも聴く。
なぜナイアガラーたちはこれほど熱意を込めて大瀧さんのラジオを聴いたのか。それは「ファン活動」というのとは違うと思う(いくら熱心に聴いても大瀧さんの収入には結びつかないからだ)。「推し」というのとも違う。ナイアガラーたちは「東京ドームを満員にする」というようなことは一度たりとも考えたことがなかったと思う。私たちが大瀧さんに感じていたのは敬意と感謝だった。それはひとりひとりのナイアガラーが個人的に示すしかないものだ。
大瀧さんはラジオDJを通じて、その該博な音楽史的知識とミュージシャンとしての職業的知識を惜しみなくリスナーに伝えた。ほんとうに「惜しみなく」伝えた。
私が初めて大瀧さんの伝説的DJ番組『Go! Go! Niagara』を聴いたとき(1976年の春だった)、私は番組の中で流れた曲名も、ミュージシャンの名前もほとんどわからなかった。自分ではいっぱしのロック少年だと思っていた私にはショックだった。でも、大瀧さんは「遠慮なく」話し続けた。それは「私の話が全部理解できるようなリスナーになれ」という明確に教化的なメッセージを発信していた。大瀧さんはリスナーの「成熟」を心から望んでいたのである。大瀧詠一のDJで言及されるすべての固有名詞を理解できるリスナーになること、それが私たち「ナイアガラー」に与えられた課題だった。というのも、大瀧さんは自分のDJを聴くことでポップスについて例外的に高いリテラシーを身につけたリスナーを日本社会に「創出すること」を目指していたからである。
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