首相当時に二・二六事件に遭遇した岡田啓介(1868〜1952)。終戦工作を進めた影の中心人物とも言われる彼の原点とは。ノンフィクション作家の早坂隆氏が描く。

海軍大臣を経て内閣総理大臣を務めた岡田啓介は、現在の一般的な知名度は高くないかもしれないが、戦前戦中の日本の「舵取り」を大きく担った人物の一人である。
首相就任前の昭和5年、ロンドン海軍軍縮会議時には軍事参議官として条約締結のために奔走。国家として譲れない部分は守りつつも、交渉決裂こそ国益に反すると大局的に見定め、現実的な折り合いをつけていく姿勢を見せた。海軍内には反対派も多かったが彼らとも幅広く交渉し、当時の浜口雄幸内閣と海軍との間の「調整役」となった。その交渉術は強引なものではなく、実にしたたかなものであり、腹芸もできた。付いたあだ名は「狸」。岡田は戦後の回顧録の中でこう述べている。
〈わたしは出来るだけはげしい衝突を避けながら、ふんわりまとめてやろうと考えたものだ。反対派に対しては、あるときは賛成しているかのように、なるほどとうなずきながら、まあうまくやってゆく。軍縮派に対して、強硬めいた意見をいったりする。要するに、みんな常識人なんだから、その常識がわたしの足がかりなんだ。いくら激している人間にも常識的な一面はあるんだからね。そこを相手にする〉
結果、同条約は大きな混乱を来すことなく調印された。この時、もしも政府と海軍との間に決定的な溝が生じていたら、海軍はその後に陸軍以上の暴走を見せたかもしれない。
岡田は首相就任以降も、政界や軍の強硬派を宥(なだ)める役割を担った。しかし、昭和11年2月、首相官邸が陸軍の反乱部隊に襲撃される。「二・二六事件」である。ところが、反乱部隊は人違いで岡田とは別の人物を殺害。犠牲になったのは岡田の義弟(妹の婿)で、秘書役を務めていた松尾伝蔵だった。女中部屋の押し入れに隠れていた岡田は鼾(いびき)をかいて寝ていたというから、肝っ玉も据わった人物だったのだろう。翌27日、メガネとマスクをし、弔問客に紛れて首相官邸から脱出した。
「無理な戦争をしちゃいかん」
昭和天皇からの信任も厚く、首相を辞して以降も重臣として政界と軍のまとめ役を担った。対米戦には反対の立場。日米の国力の差を冷静に見極めた末の結論だった。口癖は「無理な戦争をしちゃいかん」。
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