劇的な引退から46年を経てもなお、人々は山口百恵(1959〜)の名を口にのぼせる。百恵以降、より多くのヒット曲を出した歌手、より美貌を賞賛された女優は数多いた。だが誰も山口百恵を越えられない。昨年『山口百恵 1970年代が生んだスーパースター』(朝日新書)を著わした作家の中川右介氏が、稀代のヒロインを分析する。

美しい引き際──山口百恵は、この、言うは易く行うは難しいことを実行したひとである。しかも、21歳という若さで。いや、21歳だから、潔く、未練なく、決断できたのかもしれない。
21歳というと、普通は大学生か社会人になったばかりなので、引退どころか、世の中に出ようとしている年齢だ。だが山口百恵は中学3年から働いていた。ファストフード店のバイトをしていたのではない。魑魅魍魎が跋扈する芸能界で働いていたのだ。そこは見かけは華やかで美しいが、その裏がけっして美しくないことは、1970年代にもなれば、普通の中学生でも知っていた。「清純派」として笑顔で歌うミニスカートのアイドルたちを、人々は虚構と知りながら、消費していた。
山口百恵は、しかし、最初から清純派ではなかった。彼女は大人びたアイドルだった。森昌子、桜田淳子との中3トリオで、数か月の差だが、いちばん若いのに、いちばん大人っぽかった。桜田淳子が春の太陽のように輝いていた時、山口百恵は中秋の名月のように、神秘性を漂わせていた。桜田淳子が恋に恋する少女の曲を笑顔で歌っていた時、山口百恵は早熟な性を連想させる際どい歌詞の曲を無表情に歌っていた。
両親が正式な結婚をしていないこと、父親には別に家庭があることなどが週刊誌によって暴かれた時、テレビドラマでは同じように複雑な家庭で健気に生きる少女の役を演じていた。そのうち、実の父が百恵と母に黙って、プロダクションから借金をしていたことも暴露された。その借金がある限り、彼女はやめることはできない──昭和の芸能界には、芸者と置屋のような関係が、まだ普通にあった。
山口百恵は容姿や歌唱力で、ずば抜けていたわけではない。だがいつしか、人々の心をゆさぶる存在になっていた。評論家・平岡正明が『山口百恵は菩薩である』という本を出したとき、それは少しも大げさではなく、奇異でもなく、「ああ、そうなのか」と納得したひとは多い。
山口百恵が同世代の歌手たちから一歩抜け出したのは、1976年夏の「横須賀ストーリー」からだろう。阿木燿子と宇崎竜童にとっても出世作だ。2人による「イミテイション・ゴールド」「プレイバックPart2」もあれば、さだまさしの「秋桜」、谷村新司の「いい日旅立ち」などもあり、その歌の世界は多彩になり深みを帯びていった。だが歌の賞レースでは苦戦した。同時代、沢田研二とピンク・レディーというライバルがいたこともあり、売上枚数や賞ではトップにはなれない。レコード大賞を逃した瞬間、彼女は「敗北の美学」の体現者となった。歌手として残る記録は、「紅白歌合戦」の紅組のトリを史上最年少で務めたことくらいだ。女優としても主演したテレビドラマは高視聴率をとり、東宝の正月と夏休み興行を任されたが、大きな賞は獲っていない。無冠のひとなのだ。
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