「寄りそう」だけで解決するのか

日本人へ 第190回

塩野 七生 作家・在イタリア
ライフ 社会

 私には、地中海世界を舞台にした歴史エッセイをすべて書き終えた後ならばやってみたい、と思っていたことが三つある。

 その一つに、若い頃にヨットを乗り継いでまわった地中海沿いの港町を、もう一度訪れるというのがあった。ところがその願いが夢で終わるのを、痛感している今日この頃である。五十年昔には可能であったことが今では不可能になったということだが、それは地中海世界から、誰でも自由に安全に訪れることができるという意味での平和が失われてしまったからである。

 しかもこの変化は、たかだかこの十年足らずの間に起ったのだ。私が『ローマ人の物語』を書き、すぐつづいて『ローマ亡き後の地中海世界』を書いていた頃までは、地中海に面した北アフリカ全域への旅行は安全だった。あの一帯には数多い古代のローマ時代の遺跡を歩きながら一人で半日過ごしても、心配するような事態にはまったく出会わなかったのである。近くの遺跡では、決まったように欧米の大学の調査隊が発掘していて、彼らからもらう情報も役に立った。

 ところがこの十年で、すべてが一変した。ジャスミン革命とやらで独裁政権が次々と倒されたのはよいが、その後に残されたのは混乱だけ。遺跡でウロウロしているなどは許されなくなった。その辺の暴力団にでも拉致され、社会の混乱をよいことに浸透してきたISにでも売られるような事態になれば、日本政府だって出てこざるをえなくなる。まるで潮が引くように発掘隊が姿を消してしまったのも、学問的な関心が薄れたのではなく、この種の危険を避けたかったからにすぎない。

 しかし、平和が破られたのは陸上だけではなかった。海の上も、安全では少しもなくなったのである。そして、陸地での危険分子は独裁という押さえが消えた後に生れた暴力団だが、海上でのそれは、独裁による肉体上の危険か、ないしは経済面での貧困から逃れてくる難民たち。

 海の上を行く人間には、それが大型船であろうとヨットであろうと、確とした「オキテ」がある。ゴムボートでも小型のボロ舟でもそれに命を託して漂流している人々に出会えば直ちに救助し、最寄りの港にまで連れて行かねばならないという決まりだ。だが、実際上はこれがむずかしい。

 まず、当り前でもあるのだが、「最寄りの港」が自分たちが出て来た港ならば、難民たちはそこにもどるのを断固拒否する。

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source : 文藝春秋 2019年4月号

genre : ライフ 社会