「ある性犯罪者」衝撃の告白

石川 陽一 ジャーナリスト
ニュース 社会
「ヤバい、また襲ってしまう」性犯罪を繰り返すある男がいた。名は寺本隆志(67)。幾度となく罪なき女性を傷つけ、刑務所で長い歳月暮らしてきた。接見と手紙のやり取りを続ける記者に、寺本は衝撃の告白をする――。

なぜ繰り返すのか

「もう刑務所には戻りたくない。本当です」

 しかし、と男は言葉を継いだ。

「2度とやらないという自信はありません」

 2019年2月、長崎拘置支所の薄暗い面会室で記者と向き合った男は、うつむいたままつぶやいた。

 160センチに満たない男は、小さな背中を丸めてさらに小さくした。冷たいパイプ椅子の感触に体と声を震わせる姿は、弱々しい老人そのものだ。とても他人に危害を加えるような人物には見えない。

 男の名は寺本隆志(67)。18年6月、長崎市内の路上でたまたま通りかかった7歳女児のスカートを、いきなり背後から引きずり下ろして転倒させ、両膝に打撲を負わせたほか、別の女児の下着や運動靴を盗んだとして強制わいせつ致傷や窃盗の罪に問われ、当時は長崎地裁での初公判を待つ身だった。

 今回が初犯ではない。過去に何度も性犯罪を繰り返し、罪なき女性を傷つけてきた。刑務所で暮らした歳月も長い。

 1992年、東京都北区で妻子と同居していた寺本は、同じアパートに住んでいた女子中学生を刺殺。さらに、逃亡先の長崎市でも別の女子中学生の体を触った上で、高層マンションの踊り場から突き落として殺害した。

 約20年の服役を終えて出所すると、移り住んだ広島市で13年、強制わいせつ事件を起こして懲役4年の実刑判決を受けた。そして再度の出所後、半年もたたずに今度は長崎でまた逮捕されたのだ。

 2人の少女を殺害した過去から、寺本の名を知らない長崎県警の関係者はいない。普段はオフレコの前科情報がすぐに出回り、共同通信長崎支局で事件担当をしていた記者の耳にも入った。

 経緯が気になった記者は、寺本の過去の事件について調べた。すると、当時の新聞各社は、「寺本は極刑を希望」と報道していた。

 少なくともその時は死を望むだけの悔恨があったはずだろう。なのに、寺本はなぜ生き永らえ、出所後に同じ過ちを繰り返してしまったのか。長年にわたる獄中生活は、更生の役に立たなかったのか。寺本の心情に迫るために、接見と手紙のやり取りを重ねた。

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寺本から届いた手紙

衝動が抑えられない

 19年2月、最初の接見に応じた寺本はグレーのジャケットを着込み、眼鏡を掛けた顔を下に向けてとぼとぼと面会室に入ってきた。整った短髪に白髪は見当たらず、実年齢よりも少しだけ若く見える。初対面の記者の姿を認めると、律儀に何度も頭を下げた。

 拘置支所での面会が許される時間は1日30分のみ。寺本は、その間ずっとカーキ色のハンカチを両手で持って口元に当て、記者との間にあるガラス窓に顔を近づけてぼそぼそと話した。このスタイルは毎回、変わらなかった。表情や語り口は柔和だが、目はほとんど合わせようとしない。

 自己紹介もそこそこに取材の趣旨について説明すると、寺本は深くうなずき、丁寧に言葉を選びながらこう説明した。

「精神的なストレスがたまると気持ちが落ち込み、やけっぱちになってしまう。すると心のコントロールを失って過去に自分がやった犯罪のことを思い出し、性的な衝動を抑えられなくなります」

 幼い女の子が好みなのか、と尋ねると即座に否定された。

「決してロリコンではありません。同年代と仲良くなることもあったし、成人した女性の方が良い。でも性犯罪で狙うとなると、大人は私の体力的に厳しい。だから小さい子どもを標的にしてしまう」

 そしてゆっくりとした口調で、これまでに起こした事件や自身の半生について語り始めた。

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面会した長崎拘置支所

最初の事件

 長崎市で生まれた寺本は「若い時はやんちゃしていた」という。定職には就かず、19歳の頃から、道行く若者に因縁を付けて金銭を巻き上げることで生活していた。23歳の時に恐喝などの罪で4年ほど服役すると、出所後に故郷の長崎市に戻り、飲食店で働き始めた。そこでウェイトレスをしていた女性と結婚。2児をもうけ、一時は幸せな家庭を築いた。寺本家はその後、東京・赤羽に引っ越す。

「家族のために必死で働きました。少しでも稼ごうと、寝る間も惜しんで残業を重ねました」

 時折、笑顔を交えながら話していた寺本だが、元妻の話になると急に顔が曇った。

「彼女はルーズな人でした。いつも寝坊するし家事や料理はできない。そんな姿を見ていると、何のために頑張っているのか分からなくなってしまったのです」

 夫婦げんかが日に日に多くなり、ストレスを感じた寺本は職を転々とするようになった。苦しくなった家計を助けるために、元妻はホステスとして夜の街で働き始めた。するとあっという間に収入を追い抜かれた。経済的な余裕はできたが、心境は複雑だったという。

 やがて寺本は自宅で育児に専念するようになった。そしてアパートの同じ階に住んでいた女子中学生と出会う。鍵っ子だったその少女は孤独だったのか、毎日のように寺本の部屋を訪れて彼の子供たちと遊んでくれた。

 半年ほどたったころ、体の成長もあり、急に少女が大人びて見えたという。

「元々ませた子でした。ラブレターをくれて、2人で後楽園ゆうえんちに行きました。その後もデートを重ねました。本当は大人として分別を持つべきだったのですが……」

 寺本は少女の方から自分に好意を寄せてきたと説明する。しかし、事件当時の報道によると、「寺本から被害者の少女にラブレターを送っていた」との記述が多い。

 いずれにせよ、人の道を踏み外した寺本は、異性としての歪んだ愛情を少女に向けるようになった。

 1992年3月28日、寺本は少女を殺害する。まだ13歳だった。自宅の浴室に誘い出し、数十カ所を刃物でめった刺しにする残忍極まりない犯行。動機を尋ねると口をつぐみ、「よくある男女間のトラブルがエスカレートした」としか答えなかったが、当時の新聞では、寺本が「約束を破られた」「冷たくされた」などと供述したと報じられている。

 気持ちが沈み込んだのか、寺本は一瞬、沈黙した。思い詰めたような表情から、殺(あや)めた少女への謝罪を口にするのかと思ったが、続く言葉はそうではなかった。

「この事件で自分の中の何かが壊れてしまいました」

寺本は「極刑」を望んだ

 長崎市へ逃亡した寺本は4月9日、路上で見かけた当時12歳の女子中学生を襲って体を触り、犯行の発覚を恐れてマンション14階の踊り場から突き落として殺した。

 長崎での殺人は当初、県警が飛び降り自殺として処理した。そのため寺本は東京での殺人容疑でのみ起訴され、1審で懲役17年の判決を受けた。当時の報道によると、寺本は「極刑を望んで」控訴し、長崎での殺人を手紙で自白している。

 捜査はやり直しとなったが、既に2審へ移った東京での殺人と併合されることはなく、別々に審理は進んだ。被害者が1人の殺人事件で死刑判決が下るケースは少ない。寺本は両方の裁判で最高裁まで争ったが、それぞれ懲役17年、15年で刑が確定した。

 合計で懲役32年となったが、当時の有期刑の上限は懲役20年。死を願ったはずの寺本は、約20年の服役を経て社会に戻ってきた。長崎県警のあるベテラン刑事は「本当は死刑になるべき男を野に解き放ち、結果として新たな被害者を生んでしまった」と初動捜査のミスを今も悔やんでいる。

 出所後は元受刑者の社会復帰を支援する広島県の団体に受け入れてもらい、広島市での生活が始まった。

 だが、寺本は救いの手を払いのけてしまう。

「縁もゆかりもない土地で、頼れる友達は1人もいませんでした。支援団体の人たち5〜6人と知り合ったけど、全員が私の過去を知り、引いてしまった様子だった。上辺だけの関係なのだな、と思って付き合うのをやめました」

 この頃の寺本は「2人の少女を殺した」という自らの罪の重さを、既に忘れてしまっていたのかもしれない。あるいは開き直っていたのか。広島での生活は「孤独だった」「居場所が無かった」と繰り返し強調した。

 一度だけ福岡県に住む兄に「長崎へ帰りたい」と電話を掛けた。返答は「事件の影響があるから戻らない方が良い」というものだったという。

 疎外感を募らせていった寺本の唯一の気晴らしはサイクリングだった。ある日、行くあてもなく自転車をこいでいると、20歳ぐらいの好みの女性が歩いているのを見つけた。気がつくと無意識のうちにその後ろをゆっくりと走っていたという。この時は危害を加えることはなかったが、街中で知らない女性を尾行することが日常の密かな楽しみになった。

「言ってしまえば、広島の事件は憂さ晴らしだったのです。相手はたぶん18か19ぐらいの若い子だった。いつものように跡をつけていて、たまたまやってしまった。その日は特に落ち込んでいました。私は精神的なストレスがたまると、自分より弱そうな人を突発的に襲ってしまう特徴があります」

再犯防止プログラム

 精神的に落ち込むと自分より弱い女性を襲ってしまう――。そうした自身の犯罪傾向の特性は、広島の事件で服役中に約10カ月にわたり受講した「性犯罪者処遇プログラム」で自覚したという。

 このプログラムは、4年に奈良県で発生した女児誘拐殺人事件をきっかけに法務省が導入し、性犯罪の再犯防止策の柱となっている。性犯罪で収監された受刑者を対象に、週2回程度、1回1時間半ほどのグループワークを実施。保護観察中の仮出所者が受講するプログラムもある。目的は性に対する認知の歪みを自覚させ、罪を犯した背景や再犯対策を考えることだ。

 寺本はこのプログラムで他の受刑者らと共になぜ自分が過ちを繰り返してしまうのかを話し合った。性犯罪の被害者が書いた手記を読むこともあった。

「私が言うのも変ですが、やられる側はこんなにショックを受けるのだな、と。怒りが痛いほど伝わってきました」

 受講者は作文を書かされることもあった。最も印象的だったのは、過去に起こした事件の被害者の立場になって加害者である自分宛てに手紙を書く課題だったという。

 寺本は1992年に長崎で殺害した女子中学生を選んだ。

「自分がやったことの酷さを初めて思い知りました。私は罪から逃げ続けてきたのだな、と現実を突きつけられました」

 両目をぎゅっとつむり、こみ上げる涙をこらえながらそう語った。罪と向き合えず全く手が動かない受刑者もいる中、寺本は与えられた用紙一杯に思いをしたためたという。

 他にもカウンセラーに指導を受けながら、性的な衝動を覚えた際にどう対処するのかを考えた。

 衝動を抑えるためにするべきことを箇条書きで記した紙をもらい、18年1月に出所した後は、肌身離さず持ち歩いた。何度も何度も読み返していたという。

 法務省によると、プログラムは全国の刑務所で年間500人ほどが受講。12年に同省が実施した検証では、プログラム受講者の再犯率は12.8パーセント。未受講者より2.6ポイント低くなっているが、根絶には遠い。

 プログラムの策定に携わった「はりまメンタルクリニック」の針間克己院長は「一定期間の受講だけで再犯を完全に防ぐのは無理がある。出所後の孤立を防ぐ仕組みが必要だが、現状は十分とは言えない。元受刑者が希望すれば継続して治療を受けられるようにするなどの制度を整えるべきだ」と強調する。

 寺本に受講した感想を尋ねると、「説得力は無いかもしれませんが、プログラムの成果は確かにありました。しっかりと自己分析できたし、どういう時に性犯罪をやってしまいそうになるのかを把握できた。これでもう繰り返さずに済む、そう思っていました」。

繰り返された性犯罪

 既に四半世紀以上を刑務所の中で過ごしてきた寺本。いつの間にか還暦もとっくに過ぎて、その人生は終盤に差し掛かっていた。完全に自業自得とはいえ、家族も友人もいない。全てを失った帰る場所の無い老人にも、たった一つだけ願いがあった。

「獄中は寒い。あんなところで死にたくない――」

 接見中、何度か口にしたその言葉は、本心からのものだろう。

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source : 文藝春秋 2020年4月号

genre : ニュース 社会