「万景峰号」を重視
北朝鮮は最高人民会議(第14期第7回会議)の2日目に当たる9月8日、新たな核武力政策(法律)を採択した。注目されるのは「核兵器の使用条件」として「指揮系統体系が危険にさらされた場合、事前に決定された作戦方案によって核打撃が自動的に即時断行される」と規定したことだ。言わば金正恩(キムジョンウン)国務委員会委員長が「斬首作戦」(北朝鮮が全面戦争を決断する前に、先制攻撃で意思決定機関を除去するための作戦)で排除されても、また、指揮中枢そのものが直接打撃を受け、減衰しても、核攻撃の決定を下す可能性を示唆したものだろう。この政策表明は、ロシアのウクライナ侵攻や北朝鮮にとっては米国の「敵視政策」そのものと映る「最大規模の米韓合同軍事演習の実施」など現在の世界情勢を捉えた内外への示威と見えなくもない。それにしても、核やICBMを持ち出す北の挑発に接する度に思うことがある。それは、その研究、開発に利活用された物資や技術の少なからずが、日本国内の調達拠点から送られたものだという事実である。
2004年8月から2年間の警察庁外事課長時代、私は新潟に入港する北朝鮮貨客船「万景峰(マンギョンポン)92」号――我々は当時略して「マンギョン」と呼んでいた――をしばしば直接、視察していた。私がこの「現場」を重視したのは、北朝鮮の体制維持に直結するヒト、モノ、カネ、情報が、この船によって持ち出され、一方でこの船を通じて北朝鮮から日本人拉致を含む秘密の工作指令がもたらされていた事実を重く見ていたからだ。
マンギョンは、新潟西港に入港する直前、信濃川河口沖の日本海で時間調整のため、しばし遊弋(ゆうよく)する。
遠景にあるその白い船体から視線を落とすと、新潟西港は、9・11を反省教訓として改正されたSOLAS条約(The International Convention for the Safety of Life at Sea)に基づき、厳重に緑色のフェンスが張り巡らされている。フェンスは、テロ対策の目的だけではないのは明らかだった。
マンギョンは、緩々(ゆるゆる)と入港し埠頭におもむろに横付けすると、屈強の甲板員が岸壁に係留索を投げ落とし、地上では作業員が黙々と索の輪をビットに通す。酔うようなC重油の排ガスの中で捲揚機(まきあげき)が動き、船体がゆっくりと岸壁に引き寄せられていく。傍の新潟県警外事課員の表情にかすかに緊張が走る。この入港の光景を、私は今でも時折、思い出す。
マンギョンは、日朝連絡船としては「三池淵(サムジョン)」号、「万景峰」号に次ぐ3代目に当たる。進水は1992年。金日成(キムイルソン)国家主席の傘寿を記念し、在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)の幹部・有志や在日朝鮮商工人らの「イルクン」――熱心な組織幹部、活動家。日本語に直訳すると「働く人」――らが寄贈した。北朝鮮に親族を残す(実質的に人質を取られていると言ってもいい)在日朝鮮人活動家にとっては「金王朝」に示した「忠誠の証」でもあった。
06年夏に我が国が発動した対北朝鮮制裁措置で入港が禁止されたが、それまでは元山(ウォンサン)と新潟を往復し、朝鮮学校の修学旅行生や在日朝鮮人の祖国訪問者らの足として利用されていた。1996年には、あのピースボートが借り上げたこともあった。
忠誠心を得るための日本製品
だが、この船には別の側面があった。たとえば現金の持ち出し。多額の現金は申告額ギリギリに収めて個人手荷物に分散して持ち込み、現地で回収する。薬物密輸でいう「ショットガン方式」である。かかる手法が使われること自体が、この船が組織的、脱法的に北朝鮮経済の一部を支えていることを示していた。
船の特性上、外事警察はマンギョンの入港時、新潟県警はもちろん警視庁などからの出張者も含め、警戒監視に当たってきた。特に留意したのは船に出入りする者に関し、国籍や職業、性別を問わず人定事項を確認することだった。根気のいる仕事だが、出入者を正確に特定することは、対北朝鮮インテリジェンスとして極めて重要な作業だった。
外事課長就任前年の03年、朝鮮総聯元幹部の男(当時72歳)が船内で船長から対韓国工作指令を受けていた事件が、警視庁に摘発された。同年6月には、イラン向けミサイル関連物資不正輸出事件の突き上げ捜査で「ジェット・ミル」(ロケット燃料の製造や核開発に転用可能な超微細粉砕装置)などがマンギョンで北朝鮮に積み出されていたことが判明。1998年に警視庁が摘発したスクーバ用高圧ボンベ用ダブルバルブの対北朝鮮不正輸出事件では、水中の特殊活動にも耐えるバルブが、マンギョンで持ち出されている。この船にからむ数々の犯罪……。それは結局、北朝鮮の物資調達において、朝鮮総聯やマンギョンというインフラやツールが整った日本という拠点の死活的重要性を端的に示していた。
外事課長時代、私は北の物資調達経路や、北にとっての「日本製品」の持つ意味、現地での消費実態の解明を強く指向していた。
霞が関の外事課にあるハンドル式スタックランナーの書庫に納められた膨大な資料に加え、都道府県警外事課に情報関心を発出して得た多くの情報を合わせて精査し、都道府県警の外事課との意識共有も進めた。
当然ながら、北の物資調達の最重点は、エネルギーや、核・ミサイル開発関連の戦略物資である。しかし、それ以外にも、北が欲する物資は一つ一つ、意義付けや重みが違った。
金正日(キムジョンイル)国防委員会委員長とその家族の健康や暮らしの維持、娯楽を充実させる高級品や、金委員長が忠誠心を得るため、側近や有功者への下賜品に用いる高級な品々――政権末期は新築マンションの一室を渡すこともあった――はマンションは別としても品質の良い日本、欧州製が重用されたことは想像に難くない。次に、平壌住民(200万~300万人の特権層)が消費する食糧、衣類等の日用品である。当時、指導者レベルから特権市民に至るまで、化粧品や医薬品、食糧、衣類、家電製品から車などは日本製品が最も好まれていた。
2000年代半ばまで、北朝鮮中枢への物資調達は、既に述べたように、インフラとして朝鮮総聯や対北貿易を手がける在日朝鮮人らが存在していることから、日本が軸だった。外事警察は、それを放置すべきではない。私は、不正輸出のインフラたり得る朝鮮総聯や対北貿易商社の動向に関する情報を粛々と集め、摘発し、実態解明に努めることにした。
そうした中、外事課長就任2年目の05年、警視庁公安部の摘発をきっかけに、朝鮮総聯の傘下組織「科協」が北朝鮮の兵器研究に関連して非常に活発に活動していた実態が明らかになる。
自衛隊の反撃能力が「流出」
「科協」は、正式名称「在日本朝鮮人科学技術協会」。自然科学研究者や専門技術者の集団だが、会員にはロケットエンジンから核開発、素材工学や有機化学等々、北朝鮮の軍事技術発展に必須の領域専門家が多く含まれ、中には、東大、京大、東工大等の大学や大学院で高度な研究を重ねた者も存在した。かねて、北朝鮮の大量破壊兵器の研究・開発に関与しているとみられてきたが、活動実態はほぼ闇の中だった。
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source : 文藝春秋 2022年11月号