「国会審議は週刊誌報道の焼き直しでいいのか」という怒りの声が聞こえて来そうである。何分にも日本の抱える諸課題が何一つ見るべき解決に至らず、しかも、コロナ禍の後遺症が重くのしかかり、その上、ウクライナ戦争に端を発するエネルギー価格高騰問題などが折り重なっている状況を毎日耳にしている国民としては、これが本音であろう。
この本音の源を尋ねていくと、国会は議員たちが議論を通して政策を作る国権の最高の場であるはずだという至極もっともな見解に出会うことになる。国会の政策形成能力を発揮する絶好のチャンスが到来しているのに、次号の週刊誌報道を息を凝らして待つのではその存在意義を問われかねない。しかし、さればと言って、各議員がばらばらに重要だと思う政策課題について自説を展開すれば政策形成が進むと考えるのは余りにおめでたいと見なされよう。
平等な数百人の議員からなる衆議院を政策形成へと導くためには、この数百人を束ねる審議についてのルールが必要である。ルールの管理者が会派(党所属議員団)であり、個々の議員は会派のコントロール下にある。これら議会規則はそれぞれの議会制の伝統と深く結びついており、従ってその内容は極めて個性的であり、それに呼応して議会制の実態も実に多様である。日本の場合にも明治以来の議会制の遺制がまぎれもなく無視できない影響を及ぼしている。それは煎じ詰めれば、議会を政治的にどのような場として位置づけるかという根本問題につながっている。それ故に「国会審議は週刊誌報道の焼き直しでいいのか」という批判に応えるのは、やさしそうに見えて実は多くの議論を必要とする。
日本の国会審議の典型的場面は、野党議員が大臣を相手に次々と質問を一方的に繰り広げるシーンである。この質問(「質疑」)は時間が許す限り続けられる。その際、内容的には週刊誌の焼き直しも加わることがある。大臣の側から質問者に対する疑問や反論は許されないことになっている。つまり、討論や「討議」は想定されていない。ここで行われているのは政府・与党で作り上げた政策を国会に持ち込み、国会のルールに従って国会審議を「通す」こと、そして政策を実現することである。対して野党の役割は「質疑」によって政策の疑問点を明らかにし、時には、会期制を盾にとって法案を審議未了→廃案に追い込むことである。こうした国会の会期の時間管理と法案審議の進捗とのバランスを不断に調整するのが「国対」である。
党と会派の機能分担を
この大臣vs野党議員の構図から、日本の国会における政策形成機能の実態を点検してみよう。先ず、大臣が代表する政府・与党側をみてみると、国会審議に先立って政策は国会以外の場(例えば、自民党政務調査会や総務会)で既に決まっており、内容を議論することよりも国会を「通す」ことが関心事である。端的に言えば、国会における政策形成機能をスキップするものというべきである。
政策は国会ではなく、党(政党)内の議論によって決められている。だが、党はあくまでも私的団体であって、そこでの議論の内容は公開されないし、公的責任も問われない。政党が公的役割を果たすためには何よりも国会内での会派としての活動が求められる。現在のように与党が大臣に答弁を委ね、会派としての政治家の存在感が全く感じられない状況の下では政策形成機能における国会の地位は高まりようがない。
また、ひたすら「質疑」に専念する野党の政策形成能力も心もとない状態にとどまることは想像に難くない。その上、一方的な「質疑」はあっても「討議」がない現在のような構図からは何も生まれないし、大臣を国会審議に拘束し続けることも限界に近づいている。
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