「泣き虫なっちゃん」金メダルへの軌跡
※角田夏実さんが登場したグラビア「日本の顔」もぜひご覧ください
昨年夏、パリ五輪で金メダルを獲得してから、お陰様で忙しい日々を過ごしてきました。雑誌の取材、テレビやラジオ番組への出演、全国のイベントにもたくさん呼んで頂きました。五輪後しばらくは両肩のリハビリに専念していましたので、年末から練習を再開し、今年2月のアゼルバイジャンでの国際試合が約7ヶ月ぶりの復帰戦でした。優勝し安堵したのも束の間、イスタンブール経由で火曜に日本へ帰国し、水曜に青森へ。翌日東京へ戻り、土曜にはハワイへ。その週はずっと飛行機に乗っていました。

周りからは「何をするのも全力だね」と言われます。仕事もプライベートも今しかできないことばかり。特に、柔道の楽しさを知ってもらうためにできることは、全部したい。そんな気持で駆け抜けてきました。

「長い夢をみていたんじゃないか」
オリンピックを振り返る時、ふとそう思ってしまう自分がいます。それほど、私の柔道人生は燻っていた時間の方が長かった。「こんなに何度も挫折して、よく諦めずに続けてきましたね」とみなさんに言われます。実際、何度も柔道をやめようとしましたが、「あの分岐点で、あの人に会えたから今の私がある」と思える、たくさんの「出会い」に救われてきました。みんな、私以上に私の性格を知っているのか、上手に私をコントロールして、一つ、また一つと私のレールを繋いでくれたのです。そうして気がついたら、オリンピックの舞台に立っていました。
柔道場で居眠り
小学2年生で柔道を始めたのは、父の影響でした。高校時代、柔道部だった父は怪我で大好きな柔道を続けられなかった。子どもが生まれたら柔道をさせたいと思っていたそうです。5つ上の姉は体が弱くて習えないと思っていたところへ、私が元気に生まれた。体は弱いけれど気持が強い姉と対照的に、体は元気だけど、泣き虫で、気持が弱い。心が弱い。「じゃあ柔道で鍛えるぞ」となったのが、すべての始まりです。父が探してくれた地元・千葉の八千代警察署3階の道場で週1回、チビッ子柔道クラブに通い始めました。
小柄で、練習でも試合でも負けてばかり。その度に泣くので、ついたあだ名は、「泣き虫なっちゃん」。高学年になると週1回の練習もサボりがちになり、道場では目立たないように柱の陰に隠れて、そのまま居眠りしていたこともありました。
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