三顧の礼で迎えた社長がわずか2年半で辞任――迷走する永守イズムの内幕ドキュメント
モータ大手、日本電産(本社・京都市)は、EV(電気自動車)時代をリードする企業として、世界から注目されている。創業者の永守重信会長(78)は強力なリーダーシップを発揮し、「いずれ世界中の自動車の中に日本電産のモータが入る。“自動車業界のインテル”を目指す」と公言。たとえ1円の備品でも稟議書をまわす「1円稟議」などユニークなシステムを取り入れ、好業績を上げ続けてきた。さらに「売上高10兆円」「時価総額世界トップ10入り」の目標を掲げるなど、いま最も野心的な日本企業のひとつと言っていい。
だが今、社を揺るがす異変が起きている。
9月2日、同社の関潤社長(61)が辞任することが発表された。もともと関氏は日産でナンバー3の副COO(最高執行責任者)だったが、2020年4月、三顧の礼で日本電産に社長として迎え入れられた。「こいつでダメなら他はいない」「人格と能力の両方が兼ね備えられている」と、永守氏は関氏を絶賛していた。しかし、わずか2年半で事実上解任されたのだ。
関氏辞任のリリースにはその理由として「業績悪化の責任をとるため」と書かれていたが、「当初案では『一身上の都合』だったのを、『業績悪化の責任をとるため』に変更された。関さんを悪者にして追い出すのが永守さんの狙いだった」(日本電産関係者)という。
永守氏はこの10年間、後継者選びで失敗を続けてきた。自動車部品大手カルソニックカンセイ(現マレリ)元社長の呉文精氏、シャープ元社長の片山幹雄氏らを後継候補として迎えたが、いずれも長続きしなかった。
「最後の本命候補」と言われ、人望が厚かった関氏が辞任したことで、組織内に動揺も広がる。ある社員は「関社長体制となって、自分らしく働けると期待していたのに残念」と語った。子会社の社長は「関さんが辞めるなら私も辞める」とまで言った。実際、関氏の辞任と前後して、多くの幹部社員が退社した。永守氏が「子分」と呼ぶ存在として知られてきた西村秀樹常務執行役員でさえ、部下たちに「会長のようなやり方はできないし、したくない」と言い残し、6月末に辞任した。
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source : 文藝春秋 2022年12月号