マルクスの盟友が描いた壮絶な貧困『イギリスにおける労働階級の状態』エンゲルス

ベストセラーで読む日本の近現代史 第119回

佐藤 優 作家・元外務省主任分析官
ニュース 社会 読書

 資本主義が進行すると搾取が拡大する。これを放置しておくと、貧困問題が生じる。特に絶対的貧困状態に陥ってしまった人は、自力で抜け出すことが難しくなる。資本主義を与件とした上で格差を縮め、貧困問題の解決に向けた理論を積極的に展開しているのが慶應義塾大学の井手英策教授(財政社会学者)だ。井手氏は消費税を上げることで、国民の大多数が必要とするサービスを無償もしくは安価で提供するベーシックサービス(現金を給付するベーシックインカムではない)によって貧困問題は解決可能であると主張する。

〈病人が病院に行けるようにすること、高齢者の生活の支援、貧困世帯の大学生への支援――。これらが政府の責任であるかを質問した国際社会調査プログラムで、反対する人の割合が日本はいずれも35カ国中1位でした。この「自己責任」社会を、「頼り合える」社会に変えていくことが必要だと私は考えています。/もっとも内閣府の調査では9割近くの人が自分は「中流」だと答える国です。「格差是正」のための増税と言ったところで、むなしいだけでしょう。/「増税の恩恵をまずあなたに」がキーワードです。病気にならない人はいません。子どもを育てたり、介護を受けたりする可能性は誰にでもありえます。/仮に消費税を6%引き上げることができれば、大学や医療、介護をタダにした上で、給食費・学用品を無償化し、生活扶助と失業保険を3割拡充し、看護・介護・保育の従事者の給与を年間50万円引き上げることができます。過剰貯蓄も不要となり、消費が増えて経済にもプラスです。/確かに「税」が好きな人はいません。けれど、その痛みとともに、健康に生きることや子育てといった喜びを分かち合う社会を築くことができます〉(6月8日「朝日新聞」朝刊)

 井手氏は、1972年4月生まれ、ラ・サール高校から東京大学経済学部、同大学院を経て学者になった。履歴は典型的なエリートであるが、経済的困窮を体験している。

〈私は極貧の母子家庭に育ち、学費が払えず、母は闇金融にまで手を出しました。もし、0.7%の消費増税で大学がタダになると知ったら、当時の母は泣いて賛成したでしょう。消費税が優れているのは誰もが納税者であり、救済されたという屈辱を受益者にあたえないことです〉(前掲「朝日新聞」)

 貧困を克服して成功した人の中には、「自分が成功したのは他人の数倍、努力したからだ。貧困を克服できないのは努力が足りないからで、自己責任だ」という発想を(口に出すか、出さないかは別にして)持っている人が多い。しかし、井手氏は自分が高学歴を得ることが出来たのには運の要素があると冷静に認識している。そして家庭がどのような状態であっても、子どもが幸せをつかむ可能性を制度的に構築すべきと考える。また子どもの貧困の背景には、必ず大人の貧困があると考える。

悔い改めた資本家エンゲルス

 剝き出しの資本主義社会において、どのような貧困状態が生じるかを描いた作品として古典的地位を得ているのがフリードリヒ・エンゲルス(1820〜1895年)の『イギリスにおける労働階級の状態』だ。エンゲルスは、カール・マルクス(1818〜1883年)の盟友で、2人は革命家で、共産主義者だった。マルクス主義の唯物史観では、存在が意識を決定する。客観的に見た場合、エンゲルスは資本家だ。マルクスの収入源は、微々たる自らの原稿料、貴族出身の妻の持参金とエンゲルスからの支援金だった。時代を経るに従って、エンゲルスからの支援金の比率が拡大する。エンゲルスという資本家に依存しているのだから、客観的に見てマルクスも資本家階級に属する。エンゲルスが自らの工場労働者を搾取して得た利潤がなければ、マルクスは『資本論』をはじめとする作品を書くことはできなかった。もっともマルクスやエンゲルスのように「悔い改めた」支配階級が、世の中の平等を志向することは歴史においてときどきある。こういうエリートがいないと種としての人類は滅びてしまうのだと思う。

『イギリスにおける労働階級の状態』 ©新潮社

 本書1845年版の序文でエンゲルスはこう述べる。

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source : 文藝春秋 2023年8月号

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