広島で5月19~21日に行われた主要7カ国首脳会議(G7サミット)でもっとも注目されたのは、ゼレンスキー・ウクライナ大統領の動静だった。ゼレンスキー氏は20日午後に日本に到着し、21日の会合に参加した。19日の「ウクライナに関するG7首脳声明」には、〈ロシアによるウクライナ侵略は、国際法、特に国連憲章の違反を構成する。我々は、力によってウクライナの領域を獲得しようとするロシアの違法な試みに対する我々の断固とした拒絶を改めて表明する。我々は、ロシアの部隊及び軍事装備の完全かつ無条件の撤退なくして公正な平和は実現されないことを強調する。これは和平を求めるあらゆる呼びかけに含まれなければならない〉と記されている。さらに20日の「G7広島首脳コミュニケ」は、〈ロシアの違法な侵略戦争に直面する中で、必要とされる限りウクライナを支援する〉と明記した。これらの内容はウクライナの主張を全面的に受け入れることをロシアに要求しているので、停戦交渉の基礎にならない。
ロシアのプーチン大統領も現時点での停戦に応じる気持ちはさらさらない。5月9日、モスクワの「赤の広場」で対独戦勝78周年を記念する軍事パレードが行われた。その席でプーチン氏が演説した。この演説を分析するとプーチン氏のウクライナ戦争観が変化していることがわかる。去年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻した。ロシアはこれを戦争ではなく「特別軍事作戦」であると主張していた。プーチン氏も演説や記者会見で戦争という言葉を使わないようにしていた。これが今回変化した。演説の冒頭でプーチン氏は戦争という言葉を用いているので紹介する。
〈ロシア市民の皆さん! 退役軍人の皆さん! 兵士と水兵、軍曹と曹長、海軍准尉と陸軍准尉の皆さん! 将校、将軍、提督の皆さん! 兵士と指揮官、特別軍事作戦に参加している皆さん! 戦勝記念日を祝して、お祝いを申し上げます!
この日は、祖国を守りながら自らの名を高め、不滅のものとした我々の父、祖父、曾祖父を称える祝日です。計り知れない勇気と多大な犠牲を払いながら、彼らは人類をナチズムから救ったのです。今日、文明は再び決定的な転換点を迎えています。祖国に対して再び本当の戦争が仕掛けられましたが、我々は国際テロリズムを撃退し、ドンバスの住民を守り、安全を確保しました〉(5月9日にロシア大統領府HPに掲載されたロシア語テキストより筆者が訳した)
長くて通読した人は少ない
プーチン氏の認識では、ロシアがウクライナに戦争を仕掛けたのではなく、西側連合がウクライナの傀儡政権(ゼレンスキー政権)を用いてロシアに戦争を仕掛けているのである。プーチン氏の論理では、2014年のマイダン革命でウクライナの合法政権(親露派のヤヌコヴィッチ大統領の政権)がクーデターによって倒され、欧米による傀儡政権が樹立され、この政権がドンバス地域(ウクライナのルハンスク州とドネツク州)の住民に弾圧を加え、殺傷した。西側連合が宣戦布告なき戦争をロシアに仕掛け、ロシアはそれへの対応を余儀なくされたという論理だ。もちろん我々がこの論理に付き合う必要はない。ここでプーチン氏が「祖国」という言葉を使っていることが注目される。ロシアでは1812年のナポレオンのロシア遠征を「祖国戦争」と呼ぶ。また1941~45年のナチス・ドイツとの戦いを「大祖国戦争」と呼ぶ。今回のウクライナ戦争はプーチン氏にとって21世紀の「大祖国戦争」なのだ。
プーチン氏を含むロシア人の戦争観を理解するのに役に立つのがレフ・ニコラエヴィッチ・トルストイ(1828~1910年)の長編小説『戦争と平和』だ。この小説は有名だが、通読した人は少ない。第一の理由はとにかく長いからだ。新潮文庫版(工藤精一郎訳)で全4巻(本文のみで第1巻677頁、第2巻728頁、第3巻738頁、第4巻631頁)計2774頁になる。しかも今から200年以上昔の出来事を話題にしているので、背景となる歴史的知識がないと物語の流れについていけない。それにロシア人の名前は長くて面倒だ。原作には500人以上が登場するが、中心になるのは以下の2人だ。
ピエール(ピョートル・キリーロヴィッチ・ベズウーホフ、伯爵)、本名はピョートルだが当時の貴族はフランス語を話していたので、名前もフランス風のピエールとなる。
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source : 文藝春秋 2023年7月号