犬養毅(いぬかいつよし)(1855―1932)は岡山県に生まれる。生家の没落によって苦学し、慶応義塾在学中から報知新聞記者となる。退学後、東海経済新報を創刊。また大隈重信らと改進党の結党に加わる。野にあって時の藩閥政府をするどく攻撃し、尾崎行雄とともに「憲政の神様」と並び称せられた。昭和6(1931)年、政友会総裁として首相に就任したが、翌年の五・一五事件で陸海軍将校に射殺された。これによって戦前の政党内閣は終りをつげる。
孫にあたる犬養康彦(やすひこ)氏(共同通信社専務理事)が語る。
ジイさんが自筆で書いたという履歴書が一枚、わが家に残っているんですね。現職は「衆議院議員」、所属政党は「立憲国民党」とありますから、おそらく50歳代後半のころのものでしょう。
身内だからということもあって、どうしても情緒的に見てしまうのかもしれないけれど、これを見ているとジイさんの人柄というのが実によく出てるような感じがするんです。

「姓名(読方付)」の欄は、「イヌカヒ ツヨキ」としてますね。「雅号」は「木堂瑚人又寶蘭亭齋」とあります。
「族籍」は「平民」。「生国」は「備中庭瀬町 真金吹く吉備の中山の麓に生る」としています。「真金吹く」は万葉集の吉備の枕詞です。余談になりますが、後年、孫文が中国革命に敗れて日本に亡命する。その時、彼を助けたのがジイさんとか頭山満といった連中だった。家を一軒借りて孫文を匿(かくま)うんですが、ついては表札をどうするかということになった。ジイさんたちが相談して「中山」という表札を出すんですが、これを後に孫文が号とする。孫文の墓が「中山陵」というのも、ここからきてるわけですね。実はこれは、ジイさんの故郷の山の名を取ってつけたんじゃないか、と僕は思ってるんです。
それはそれとして、面白いのは「経歴欄」。「東海経済新報記者、報知新聞記者、朝野新聞記者、民報記者」などなどあって、その後に、「明治十四年と三十一年と両度役人となる。其外何も無し」とある。明治14(1881)年というのは統計院権少書記官、明治31年は文部大臣に就任した時のことを指しているのですが、実にソッケない書き方でしょう。
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source : 文藝春秋 1989年9月号

