ファンを沸かせた「勉強してください」
先日行われたB級1組11回戦畠山鎮七段戦で、筆者は渡辺棋王が現在の時流に乗って、しかもその先頭に立っていることを実感した。
この対局は関西の将棋会館で行われ、同所で対局中だった筆者も注目していた。この対局を後に精査すると、角換わり戦法で渡辺棋王は新手(42手目△4一玉)を出していた。その新手を例えるならば、完成されたプログラムに1行だけコードを加えて新たなものを生み出す、そんな感じの工夫だった。簡単に見えて大変高度な技であり、現在の角換わり戦法を完璧に理解していないとできない芸当だった。
10年ほど前、将棋ファンが参加したとある会で、渡辺棋王に筆者からインタビューをする機会があった。将棋ファン向けに「将棋上達にはどうすればいいか?」と質問をしたところ「勉強してください」と一言で返され、渡辺棋王らしい鋭くかつ端的な答えにファンは沸いた。渡辺棋王は場を和ませようとしたのかもしれないが、私自身は今でも心に残っている言葉で、将棋を強くなりたいと思った時には必ずこの言葉を思い返す。
「これだけ負けて、初めて見えてくるものもあります」
筆者は渡辺棋王と研究会(プロ棋士が複数人で集まる勉強会)を長年行っていた。こうした場ではお互いに研究内容を見せることもあり、渡辺棋王の研究の深さと精度にはいつも驚かされ勉強量を実感していた。ただ、勉強量だけで他の棋士と差がつくとは思いにくい。トップ棋士ほどその勉強量は多い。
3年ほど前の研究会における意見交換を思い返すと、渡辺棋王は、現在主流となっているバランスを重視した指し方の優秀性を認めつつも、玉をしっかり囲って戦う自分のスタイルでは取り入れづらいと否定的なニュアンスで話されていた。当時の渡辺棋王は時流の先頭に立ち、次々と新しい手をくり出して勝っていたのだから不思議もない。
しかし将棋界の流行は移り変わり、渡辺棋王の新手も効果が薄くなっていった。三浦九段との対局内容を鑑みると、昨年の頭までは渡辺棋王も成功体験に引きずられていた部分があったのだろう。
昨年3月の棋王防衛後に将棋専門誌『将棋世界』に掲載されたインタビューにおいて渡辺棋王は、「これだけ負けて、初めて見えてくるものもあります」と語り、自らを見つめ直したことを吐露している。これが反撃の狼煙だった。