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第2回:七分丈の憂鬱2015年夏、「七分丈」はなぜ街から消滅したのか?

genre : エンタメ, 読書

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 本当に誰も穿いていない……。これではまるで、私ひとりが無邪気にケミカルウォッシュのジーンズを穿いているようなものではないですか。

 恐ろしくなり、ネットで「レギンス」を検索しました。すると「もうやめて……そろそろ時代遅れのファッションアイテムワースト10」というサイトが出てきて、チュニックの下にレギンスを穿くのはダメだとハッキリ書いてありました。そうか、七分丈レギンスはケミカルウォッシュと同義なのか。

 余りに腹が立ち、私は家のソファでふんぞり返ります。こちとらようやく「スパッツ」と言い間違えないようになりかけていたのに、その矢先にこれ。だいたい、ユニクロが世間のINとOUTを敏感に察知して生産を控えたところが許せない。ユニクロはファッション庶民の味方だと思っていたのに! いちばん許せないのは、その変化を体感できなかった私のレーダーの劣化です。

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 そもそも私にはファッションセンスがありません。流行にもうまく乗っかれないし、独自のスタイルも確立できないまま中年になりました。楽な状態にあることが、見栄えより優先される場面が年々増えています。それでも、なにがINでなにがOUTかは、なんとなく受信できていた。しかし、2015年夏、とうとうそれができなくなりました。これを中年化と言わずしてなにを中年化と言おうか。

 お腹の出ている中年にとって、チュニックやワンピースにレギンスというスタイルは鉄板です。あれがギリOKな限り、日比谷線、銀座線、半蔵門線あたりなら平気で乗れるし、私たちは戦場に残っていられるはずでした。しかし、もうダメだ。我々は馬から落ちた。降りたのではなく、落ちた。私の頭の中に、会ったこともないレギンス同志たちの顔が浮かんできました。彼女たちの肩を抱き、慰め合うイメージが湧いてきて鼻の奥がツンとしました。では我が軍は七分丈のレギンスという楽ちんアイテムを放棄する? 滅相もない。「楽こそ正義」のモットーが既に我が軍の旗に記されているではないか。

 結果、私は「流行り廃(すた)りなんて関係ないわ~」と中年独自のトボケた顔で、ヨレた去年の七分丈レギンスを穿き東京の夏を凌(しの)ぎました。トボケた顔の下で、気持ちは少し塞(ふさ)いでいました。さすがに電車には乗れませんでした。昨日まであんなに便利だと思っていた七分丈レギンスが、憎くてたまらなくなりました。

 平気な顔で口笛を吹いても、実はどこかでハッキリ、私は自分のおばさん化におびえています。がっかりしています。それでもなお、オシャレそれ自体に、限られた脳内リソースを割くのははなはだ苦痛でしかない。とは言え、オシャレな人と認識され、期待されるのはもっと苦痛。その実、ダサいと思われたらそれはそれで死だ!

 このようにファッションについては「しかし」の類語で文章をつながねばならぬほど不安定な気持ちでいるのが私の現状です。こういう煩わしさと常に隣り合わせに生きるのが、パッとしない中年女が東京に暮らすということなのかもしれません。

 都心以外では、七分丈レギンスを穿く同世代女性なんてたくさんいたはずです。私には居住の自由もある。それでも居心地の悪そうな顔で港区渋谷区あたりをウロウロしているのは、私が見栄っ張りだからだよ。知ってるよ。ちくしょう、落馬しても戦場には残ってやる。また七分丈レギンスが流行るその日まで。

ジェーン・スー

ジェーン・スー

東京生まれ、東京育ちの日本人。作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニスト。音楽クリエイター集団agehaspringsでの作詞家としての活動に加え、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」でパーソナリティーを務める。著書に『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ文庫)、『ジェーン・スー 相談は踊る』(ポプラ社)があり、『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(幻冬舎文庫)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。

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