「カープの現在のエース」と聞いて誰を思い浮かべるだろうか。これが歴代であれば“小さな大投手”長谷川良平や外木場義郎、池谷公二郎に北別府学、大野豊……と次々と挙げることができる。しかし「現在の」と言われると、「うーん、大瀬良大地かな?」と答える人が多いのではないだろうか。そこで野村祐輔の名前が出てくることは余りないように思われる。野村を特集する雑誌記事を見ても、「エース襲名へ」とか「エースへの道を再び」などと、どことなく煮え切らない表現になっているものが多い。
なぜエースと呼ばれることが少ないのか
広陵高校から明治大学と、野球人生の多くの時間を「エース」として過ごしてきた野村。2011年ドラフト1位でカープに入団した野村は、翌12年の開幕から先発ローテーションの一角を担い9勝11敗、1.98という驚異的な防御率を残し新人王に輝いた。その後も先発投手として登板を重ね、現在までに通算71勝を挙げている。ルーキーイヤーから現在(19年8月16日)までの169登板全てが先発出場という、ある意味貴重な存在でもある。
その野村がなぜエースと呼ばれることが少ないのか。そこにはいくつかの理由があると思う。まず時期的な問題として、野村がカープに入団した12年から15年までは、前田健太という絶対的な「エース」が存在していた。前田がカープを離れた16年に野村は16勝3敗という成績を残し、最多勝と最高勝率のタイトルを手にしたが、この年は同時に「エース」黒田博樹の現役最後の年でもあった。その黒田が引退した翌17年には勝ち星を伸ばすことができず、薮田和樹(15勝)、岡田明丈(12勝)、大瀬良(10勝)に次いでチーム内4位の9勝に終わった。
18年にはエースの条件の1つである開幕投手の座を射止めて白星発進するも、4月下旬に背中の筋挫傷で離脱、その後二軍戦で右ひじに死球を受けて復帰が遅れた。つまり、ことごとく「エース」と呼ばれるタイミングを逸してしまっているのである。今季も6月11日の日本ハム戦で1回に5点を失い降板、そのまま二軍降格となった。それは国内FA権取得まであと1日というタイミングでの出来事であった。このようなちょっとしたツキのなさが野村にはいつも付きまとっているような気もする。
ふと気になった野村の「青いグラブ」へのこだわり
また、エースの条件としてよく挙げられる「投球イニング数」についてはどうか。先発投手は目標として「1シーズン200イニング」という数字を掲げることが多いが、野村の場合ルーキーイヤーの172.2回が最高である。また今年7月25日に史上354人目となる1000投球回を達成した野村だが、これを登板数で割ると1試合あたり平均6.04回。「大体6回くらいでマウンドを降りる」という野村のイメージを裏付けるものとなる。更にはプロ8年目で完投が3(うち完封1)と少ない。野村がエースと呼ばれることが少ないのは、こうしたことが影響しているのではないだろうか。
今後野村がエースと呼ばれるためには何が必要になるのか、野村の特徴とは何か、と考えた時、ふと「青いグラブ」が思い浮かぶ。そう、野村は入団時からずっと青いグラブを使い続けているのである。青いグラブ自体はさほど珍しいものではない。1970年代前半に高田繁(巨人)が使用していた青いグラブは全国の子供たちの憧れの的となったし、その後も渡辺久信(西武)や齊藤明夫(大洋)など、多くの選手が青いグラブを使用してきた。しかし、それはほぼチームカラーが青い球団の選手ではなかったか。たとえば森笠繁は、カープ在籍時代は茶や赤白のグラブであったが、横浜移籍後は青と白のツートンのグラブを使うなどチームカラーに合わせたこだわりを見せていた。野村のグラブがひときわ目立つのは、チームカラーが真っ赤なカープだからである。
グラブが青い理由について、野村自身は「ラッキーカラーが青だから」と説明する(『野村祐輔メッセージBOOK-未来を描く-』廣済堂出版)。野村がどこで「ラッキーカラーが青」という知識を得たかは定かではない。たとえばムッシュムラセ著『「誕生日別」性格事典』(PHP研究所)を見ると、野村の誕生日である6月24日のラッキーカラーは「クリーム色」となっている。しかし野村の「ラッキーカラーは青」という信念は固く、青いグラブも「引退するまで変えないんじゃないですかね」(『野村祐輔メッセージBOOK』)と語る。となると、野村は本当にカープに入って良かったのだろうか、と心配になる。何せ全てが赤の球団である。ここまで強く青にこだわる野村にとって、居心地が悪くないのだろうか。