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 キャンドルロードと雪茶屋が広まったのは安塚区内だけではない。隣接する上越市の大島区(旧大島村)、浦川原区(旧浦川原村)、牧区(旧牧村)でも、安塚と同じ日に行うようになった。それだけ雪国の人の心を動かしたのだ。四区合わせて「灯(ともしび)の回廊」と名付けている。この四区のキャンドルロードは総延長六十キロメートル、灯されるロウソクは十万本に及ぶ。

 ちなみにロウソクは、安塚の人々が製造会社と協力して独自開発したものだ。強風でも消えないよう芯を太くしてあるだけでなく、芯が下から水を吸い込むのを防ぐために底までロウで覆っている。

雪茶屋で来訪者をもてなす(円平坊集落)=小林美佐子さん提供

 安塚の雪茶屋で最も人気があるのは、円平坊(えんたいらぼう)集落のそれだろう。小林美佐子さん(56)が中心になって設営している。始めたのは義父の故正光さんだった。

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 国道から少し入ったところにある円平坊は「雪の壁」に灯すロウソクが少なく、観光客があまり来なかった。「これでは寂しい」と正光さんが、国道の「円平坊バス停」の横に雪のお堂を建てた。集落には十七年に一度しか開帳しない観音堂があり、これを模したのだ。

 それを集落の中に移し、十年ほど前に雪茶屋の形式にした。この時から美佐子さんの指揮で、雪の灯籠を配置するなどして、本物顔負けの観音堂を造るようになった。雪で灯籠を造るための木枠は正光さんの手製だ。正光さんはお堂に加えて、その年の干支の雪像も造った。

 集落の名前から「えんむすび茶屋」と名付けると、アベックが大勢訪れた。お堂の前でプロポーズする人までいた。

 美佐子さんは毎年、会場にテーマを持たせる。一昨年はディズニー映画『アナと雪の女王』に出てくる雪だるまオラフを配した。雪の少なかった昨年は、雪造のブロックを積んで橋を架け、これを渡ってお堂に向かうようにした。

 円平坊は十七軒しかないので、住民総出の作業になる。二月の第二週から雪を集め始め、前日は仕事を休んでかかりっきりになる。

 「原案は私が考えますが、皆の創意工夫で出来上がります。造った後でここには何かが足りないなと思っていたら、いつの間にか誰かが雪だるまを置いてくれたりするのです」と美佐子さんは微笑む。

 ただ、高齢化で働き手が少なくなった。正光さんも一一年に七十六歳で亡くなった。かわりに美佐子さんの三人の娘が友達を連れてきて手伝うようになった。

 安塚全体でも地域の劣化が進む。五〇年代に一万一千人を超えていた人口は二千五百人ほどになった。六十五歳以上の高齢化率は四七・五パーセントにのぼる。雪茶屋ができなくなる集落もあり、今年は最盛期の三分の一の十地区に減った。「最初に始めた須川も今年やめました。今回で最後と決めている集落もあるので、来年はさらに減りそうです」と佐藤さんは肩を落とす。

 そうした地域を下支えしていこうとNPO雪のふるさと安塚は様々な事業をしている。一五年度からは、要介護状態になるのを予防するためのデイサービスまで始めた。

「独り暮らしだと誰とも口をきかないので声が出なくなるんですよ」と八十代の女性参加者が漏らす。デイサービスにでも来なければ話し相手がない。だからキャンドルロードは、多くの人と気兼ねなく話せるまたとない機会になる。「豪雪を楽しく」という以上の意味がある。

「雪でも皆に会える」。NPO雪のふるさと安塚が行うデイサービス

「人口はもっと減ります。市役所が総合事務所を廃止する時代が来るかもしれません。そうなったら私達が市から委託を受けて窓口業務を引き継ぐしかありません」と雪のふるさと安塚の松永剛代表理事(68)は悲壮な決意を口にする。

 何か対策はないのか。実は新しい可能性が生まれつつある。

 安塚では、旧町役場が豪雪地だからこそできる政策を打ち出してきた。八六年に雪を発泡スチロールの箱に詰めて宅配便を始めた。翌年は後楽園球場にダンプ四百五十台分の雪を持ち込んで、ゲレンデを造った。「楽しむだけでなく、利用できないか」と九〇年に「雪だるま財団」を設立した。美佐子さんはこの財団の理事長である。

 財団では「利雪」の研究と田舎体験の受け入れをしているが、前者の成果が形になってきた。

 財団の「雪のエンジニア」、伊藤親臣(よしおみ)さん(45)は雪室を現代にいかそうと提案している。日本は古くから雪を使って物を冷やしてきた。それが冷蔵庫や空調機に取って代わられたのは戦後のことだ。しかし、東日本大震災で原発事故が起こり、電気に対する見方は一変した。そこで注目された自然エネルギーの一つが雪だった。雪は天然の産物で、全て国産である。しかも雪で野菜を冷やすと甘さが増すと分かってきた。凍る寸前にまで温度を下げると、野菜が生き延びようとしてデンプンを糖に変えるなどするためだ。

 安塚には雪を利用した施設が十ほどある。小学校と中学校では冷房に使っている。今春は地元の農産物などを貯蔵する雪室もできる。

 財団には地区外からの設計依頼が増えた。同県南魚沼市の米穀店は二万俵の米を保存する雪室付き貯蔵庫を建てた。同市の酒造会社は清酒を三年以上寝かせる雪室貯蔵庫を造った。北海道では伊藤さんの研究も応用される形で、新千歳空港の冷房に雪が使われている。道内のデータセンターでは過熱するコンピューターを雪で冷やす試験が始まっている。

「雪国は日本のエンジンになれる」と伊藤さんは意気込む。アジアからの海路を考えると、太平洋側より日本海側の方が近い。輸入品を新潟に陸揚げし、太平洋岸に送るタイミングをはかりながら雪室付きの倉庫で保管すれば、エネルギーの削減につながると伊藤さんは考えている。

 財団では今後、どのようにしたら雪を利用できるか提案する能力を持つ人を養成し、「雪室マイスター」の認証制度を導入する方針だ。

「雪は何色でしょうか」と伊藤さんはいたずらっぽく笑う。本当は水と同じで透明だ。だが、光の反射によっては白く光り、青く見えることもある。夕陽に照らされれば、赤くさえ感じられる。

「同じように見方を変えれば、雪は邪魔者ではなく宝物なのです」

 今年のキャンドルロードの雪は、何色に見えるだろうか。