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「ジェンダー的観点」か「教育の多様性」か

 男女平等参画社会実現への意識が高まるなか、「男性が優位な社会では、女性の地位を向上する手段の1つとして女子校は必要だ」という主張は比較的受け入れられやすい。しかし男子校は不要なのだろうか。原因が何かは別にして、共学校という環境において、男の子が自分らしさを十分に発揮できていない可能性が、さまざま指摘されているのである。

 特に思春期においては肉体的にも精神的にも1~2年成熟が早い女子に囲まれて、一部の男子が萎縮してしまうのはしょうがないと言ってしまっていいのか。また、ジェンダー・ギャップは男女の社会的な立場の差を表すが、それが女性だけでなく、男性を苦しめている場合もある。「男なんだから一家の大黒柱であるべきだ」「社会的に活躍できない男性はかっこわるい」というような価値観が、男性の側だけでなく女性の側にもある。そのような圧力から逃れるため、男子があえて性差を意識しなくてすみやすい環境を選ぶことは否定されるべきなのだろうか。

 男子校の存在意義を巡る議論で賛否の意見が対立する場合、実は双方の前提がそもそも違っていることが多い。かたやジェンダーの視点から見ており、かたや個別の子どもにとっての学びの環境の最適化という視点から観ているのである。双方の観点をふまえた議論はできないのだろうか。

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 すべての学校を男女別学にすべきだとはまったく思わない。共学校よりも男子校・女子校のほうが絶対的に優れているなどというつもりもない。ただ、多様な教育環境の1つとして、男子校・女子校という選択が社会のなかにあってもいいのではないかというのが、拙著『新・男子校という選択』および『新・女子校という選択』の主張である。ちなみに現在、全国の高校に占める男子校の割合はたった2.2%である。

新・男子校という選択 (日経プレミア)

おおたとしまさ

日本経済新聞出版社

2019年10月9日 発売