初候補でいきなり直木賞を受賞した『小さいおうち』
――そして『小さいおうち』。見事直木賞を受賞した作品です。元女中のタキさんが、若い頃上京して奉公したお家のことを振り返るお話。当時の風俗の描写や、奥様とタキさんの関係が面白いんですよね。1930年代の東京の中流家庭の暮らしが細やかに描写されますが、当時の『主婦の友』などをたくさん読んだそうですね。
中島 そうです。あの頃の新聞や雑誌的な資料をふんだんに使いながら当時の風俗を書くというのが、大きな主題だったんです。
もともと大学が歴史学科で、近現代史だったんですけれど、やっぱり昭和のあの頃って、近過去で自分の現在に繋がる時代なのに、よく分からなかったりして。あの頃というと、それこそみんなハチマキを巻いて竹槍を持っているのかな、と思ってしまう。でもそれは昭和20年の戦争の最後くらいなんですよね。昭和19年の暮れ近くまでは空襲もないですから、みんな割とのほほんと暮らしていたんですよね。それがどこでどう変わるかとか、そういうことに興味があったんです。自分でも知りたいという気持ちが、あれを書いた大きな理由のひとつです。
――女中さんの立場から描かれているから、食料品から生活用品まで、細かく分かるという。しかも、終盤になって「ああ~!」となる、あの感覚がもう……。もうこれは傑作だなと思ったら、初候補でいきなり直木賞受賞でした。
中島 びっくりしましたよね。考えてみれば、そこですごく変わりましたね。直木賞を獲ったばかりの頃は人に訊かれても「そんなに変わらないよ」としか答えようがなかったんです。いっぱいインタビューされました、というくらいで。でも大きな出来事でしたよね、映画化もされましたし。
――ちょっと戻りますが、『小さいおうち』の前に、『ハブテトル ハブテトラン』(08年刊/のちポプラ文庫)という、母親の故郷の広島に一時的に移り住んだ小学5年生の男の子が主人公の児童文学をお書きになっていますよね。
中島 これはたまたまポプラ社に仲のいい編集者がいて、一緒にお仕事をしましょうと何度も言われていたというのと、広島に友達がいてしょっちゅう遊びに行っていたというのがあって。ポプラ社で書くなら、子どもの話がいいなと思いました。その広島の友達のところに行く時は、自分も子どものようにのんびりしてくるので、あそこの話がいいな、とも思いました。「ハブテトル」とは備後弁で「すねている」という意味なんですよね。
――ここで方言を書いたことが、タキさんの山形弁につながったのかも。
中島 ああ、そうかもしれませんね。
――『小さいおうち』以降では、受賞後すぐに出た『エルニーニョ』(10年刊/のち講談社文庫)は、暴力を振るう男から逃げた女性がひとりの少年と出会って、一緒に南へと向かう話ですよね。
中島 このあたりから、書くものにちょっとファンタジー要素が入ってきますよね。それまでは、『冠・婚・葬・祭』の時に、お盆の話で死人が出てくるくらいだったんです。でも『エルニーニョ』はちょっと出てきますよね。土地の話も拾っているので、『かたづの!』に近いものがあると思います。