ライターになった時は、とにかく生活するのが大事だと思っていました
――その後出版社を辞めてアメリカに1年間半行って、戻ってきてライターをされたんでしたっけ。そして、ライターをしながら、『FUTON』を書きはじめることになる。
中島 そうです。アメリカから帰ってきた直後くらいから書いているんです。フリーのライターをしながら小説を書くことは日本語学校を辞めた頃にも考えていました。その時は22、23歳くらいで経験もなかったので、「ライターです」と言っても仕事が来たりはしないので、貧乏をしているだけの人になるわけですよね。そうすると、お金もないし精神状態もめちゃくちゃで、結局、書けなかったんですよ。
だから、私は生活基盤をちゃんと確保して、精神状態を安定させないと書けないなと思って。それで就職をしたんですが、そうしたら小説を書く時間がなくなっちゃった。その後またライターになった時は、まずは生活するのが大事だと思っていました。ライターって、仕事、断れないじゃないですか。
――分かります。
中島 だから仕事がある時はもう絶対、断らないで仕事して。ない時は仕事のことは全部忘れて小説を書いて。仕事がきたら小説は3か月も4か月も放りっぱなしにしていたので、『FUTON』は書き上げるのに5年くらいかかっているんですよね。
――『FUTON』は田山花袋の『蒲団』を焼き直したというか打ち直した作品ですが、中島さんはその後も、先行作品のパスティーシュとなる小説をたくさんお書きになっていますよね。
中島 パロディ自体はすごく好きだったんです。学生時代にミニコミ誌みたいなものを友達と作っていたんですが、そこに太宰治の『お伽草紙』みたいな、昔話をパロディにした形で社会風刺的なものも書いていました。そんな立派なものではないですけれど。『パスティス』に入っている「親指ひめ」のようなものを学生の時にも書いていたんです。
『蒲団』は読んだことがなかったんです。30代になってから読んで、竹中先生みたいな中年男、いるなあと思って面白くて(笑)、それで書き始めたんですよね。
――竹中先生は主人公の作家で、弟子入りしたいといってきた女学生に執着して、彼女と恋人の仲にも口出しし、最終的には去ってしまった彼女が使っていた蒲団に、顔をうずめて泣くんですよね。
中島 竹中先生は本音丸出しだから笑っちゃうんですよね。こんなことになるなら早いうちに手を出しておけばよかった、みたいなこと書くし(笑)。
――『FUTON』は女子大生のエミを追いかけて日本にやってきたアメリカ人学者のデイブや、エミの曾祖父たちの話、そして『蒲団』を先生の妻の視点で書いた『「蒲団」の打ち直し』といった作中作で構成されています。これを新人賞に応募することは考えなかったのでしょうか。
中島 自分に対する言い訳じみてもいるんですけれど、編集者を長くやってしまったので、雑誌の新人賞の傾向と対策を考えてしまうんですよね。そんなことを考えて書いてもいいものは書けないし、結果として賞だってとれないだろうし、第一に自分のやりたいことじゃない。
それに、当時はもっと応募原稿の枚数の制限もあって、長いものを受け付けてくれる新人賞がなかったんです。『FUTON』は500枚くらい書いちゃったので、新人賞に応募する枚数じゃなかった。どうなるか分からないけれども書きたいだけ書いたんです。
でも500枚くらい書くと、やっぱり誰かに見せたくなるんですよね。こんなに頑張って書いたんです、これ、面白いですよって。で、出版社に持ち込もうと思ったんですが、その前に昔からの流れで、姉には見せて「面白い」とは言ってもらっていたんです。でもそれだけではなく、もっと全然関係ない人にも面白がってもらえたら、その勢いで出版社に持ち込もうと思って、友達数人に「見てくれる?」と頼んで、送りました。そうしたら結構「面白かった」と言ってもらえて。
そのうちの一人が『Cawaii!』をやっていた時の編集長の荻野善之さんで、今主婦の友社で社長なんですけれど、その人が「主婦の友社は小説を出す出版社じゃないけれど、友達が講談社にいるから見てくれって言ってみる」と言ってくれて。で、その荻野さんから、当時『群像』の副編集長だった蓬田さんという編集者のところに話がいったんです。それで「面白かった」って言ってもらった時は、ちょっと天に昇る気持ちでしたね。
ただ、面白いといっても、無名の新人の500枚の小説を『群像』に掲載するわけにはいかないから、単行本の編集者に回してみると言われて。単行本の編集者にも比較的はやい段階で「面白かった」と言ってもらってすごく嬉しかったんです。でもそこでどうなるというわけでもなかった。そういうもんだろうなと思っていたら、1年くらいして「ゲラを出します」って言われたんですよ。
まさかと思って、本当に耳を疑いました。訳分からないことも考えました。ベストセラー作家の本を作るために大量に発注した紙があまっちゃって、捨てるより何か刷ったほうがいい、という話になったんじゃないか、とか(笑)。いろいろ悶々と考えたんですけれど、でも結局、本が出たんです。
もう、すごく嬉しかったですね。あれは本当に、生涯であんなに嬉しいことって、まだ経験していないというか。