水木先生の作品の根本は「会話の面白さ」
――水木先生は漫画家になりたかったというより、純粋に絵を描きたかったという印象も受けるのですが。
池上 いや、それは違いますね。もちろん絵も好きだと思うけど、水木先生の作品の根本は、会話の面白さなんですよね。あれは素晴らしい才能です。水木先生が元々持っている楽観的な性質と、やはり、戦争で左手一本を失くされて、それが独特の哲学を生み出したのではないでしょうか。どこか虚無的というか。カタカナでユーモアではなく、漢字で〝諧謔(かいぎゃく)〟と表現するのが一番合っている気がしますね。意味は同じかもしれないけど、なんとなく。
水木先生の仕事は、もう脚本家の仕事に近いんじゃないかな? 漫画のストーリー自体は簡単なのですが、ねずみ男にしても、鬼太郎にしても、ひとつのちゃんとした哲学があって、それにそって喋っている感じなんですよね。そこら辺が「その辺の作家じゃないな」と。
僕は、『妖奇伝』などの初期作品が特に傑作だと思います。ここに出て来るセリフは、このあとずっと描かれる水木作品のセリフの根幹になっています。後年、水木先生は『水木サンの幸福論』(’04年)などいろいろなエッセイを書かれていて、そこで「人生は屁のようなもの」とおっしゃっているのですが、そのようなことが既に初期作品の一つ、『怪奇一番勝負』に書かれている。ここでは〝屁〟ではなく〝漫画〟に置き換えられていますが、世界観が既に出来上がっています。
だから先生言っていましたよ、「絵は修業すれば誰でも上手くなるけど、筋書きはそうじゃないんだよなあ。才能が90%であとは努力だ」って(笑)。いくら努力しても水木先生の世界は描けませんよね。僕は気が小さいから、先生の生き方に影響は受けなかったのですが、素晴らしいなあ、と思っていました。
いけがみ・りょういち 1944年5月29日生まれ。漫画家。画家。’61年、『魔剣小太刀』で貸本漫画家としてデビュー。水木しげるのアシスタントを経てメジャー再デビューを果たし、現在に至るまで劇画漫画の第一線で活躍中。代表作は『男組』『傷追い人』『クライングフリーマン』など多数。
※このインタビューの続きは2019年12月13日発売の電子書籍『ねずみ男大全』に掲載されています。