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立ち入り禁止の警戒区域で取材

 こうしたヌード撮影は当事者間の合意があれば問題ないと考える人もいるかもしれない。しかし、「写真を職業とする者が立場を利用して私的に求めるのは、職業倫理にもとるセクハラ行為」という認識が、欧米などのメディアで活動する写真家たちの間では確立されている。

 一例をあげると、写真誌「ナショナルジオグラフィック」などに寄稿していた写真家クリスチャン・ロドリゲス氏が、写真家志望の若い女性たちに「アシスタントにする」などと持ちかけ、私的なヌード撮影を迫っていたことが17年に発覚。すると、ロドリゲス氏が所属していた国際写真家集団「プライム」は「人の弱みにつけこみ、搾取し、虐待し、性差別する行為は許されない」と厳しく非難、彼を追放処分にしている。

#MeTooのきっかけとなった米映画プロデューサーのワインスタイン氏

 智子さんは、ヌード撮影以外にも、広河氏に失望する出来事があったという。

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 智子さんによると、12年5月末、広河氏のアシスタントとして、福島原発事故の被災地の泊まりがけ取材に同行した。当初は、避難生活者の暮らしを取材する予定だったが、広河氏は現地で突然、立ち入りが禁止されている警戒区域での取材を敢行。広河氏は放射能の汚染度が高い地域には行かないと智子さんと約束していたが、現実には放射線測定器のアラーム音が鳴り響いても、引き返そうとしなかったという。

 広河氏は、チェルノブイリ原発事故(86年)の被災地を長年取材。その経験から、放射能の健康被害を少しでも小さくするには、汚染された土地に近づかないことが大事だと、著書や講演などで強調している。

 智子さんは、広河氏に裏切られたと憤る。

「広河さんはふだん言っていることと逆のことをしていたし、私との約束も守ろうとしなかった。『運転手の方が好意で連れてきているのだから、その好意に応えて撮影をすべきだと考えてしまいました』『50マイクロシーベルト毎時の場所に立ち入った時にも、チェルノブイリの展望台の数値とほとんど同じという事で、女性を含む多くの人が見学に行くところだから大丈夫だろうと思ってしまった』と書いたメールが後日送られてきましたが、とにかく言い訳をしようとする姿勢を感じました」

 じつは、このときの取材では、智子さんも広河氏も立ち入りが制限されている警戒区域に入ったとして、福島県警に任意で事情聴取されている。それを受けて広河氏は、12年7月14日付の「公開の手紙」で「法律に基づく罰を与えるなら与えるがいいでしょう。それでも私は、立ち入りを禁止する法律を今後破らないとは約束いたしません。それはジャーナリストの仕事を放棄することになるからです」と胸を張った。

 だがその裏で、放射能の被害から身を守ろうとする智子さんの人権を侵害していたというのだ。

チェルノブイリや薬害エイズの本を次々と上梓していた頃の広河氏(1996年)

 大きなショックを受けた智子さんは、広河氏のアシスタントをやめ、編集部に抗議した。複数のDAYS関係者によると、編集部内で話し合いがもたれ、広河氏は編集長を降りると述べ、智子さんにもその旨を伝えたという。

 しかし実際には、広河氏はそれから2年以上あとの14年9月号まで編集長を継続。その後も発行人という肩書きで、実質的な編集長の役割を果たしてきた。

 この3人のほか、12~17年にDAYSにかかわった女性4人からも、広河氏にセクハラを受けたという証言を得ている。

●編集部で広河氏に「彼女にならないか」と言われた。別の日の夜、新宿駅西口から一緒のタクシーに乗せられそうになったが、広河氏を押しのけて逃げた(恵子さん・当時20代後半)。

●明大前の居酒屋で広河氏に「僕は紛争地などの取材のストレスはセックスで発散してきた。いまストレスがたまっている。君がイヤじゃなければ僕はいつでも歓迎だ」と言われた(綾子さん・当時30代)。

●入社直後、明大前のバーで広河氏に「僕たち付き合ってみようか」「僕はセックスを伴わない人生は考えられないんだよね」と言われた(邦子さん・当時30代)。

●入社間もなく、渋谷のカフェバーで広河氏に「そんなやつ(元同級生)とセックスできるのか? うまくいくわけないだろう」「まだ早い時間だ。行くところはどこでもある」などと言われ、なかなか帰宅させてもらえなかった(桃子さん・当時30代前半)。