日産や三菱の会長には固執しない考え
不可逆的な関係について、ゴーン氏は「すでに提携は不可逆的な関係にある」と答えている。これも、自分の存在があるからだ、という意味だ。ただ、将来のことは考えていたようで、「合併は一つの選択肢であり、様々な手段がある」と答えている。
ゴーン氏はインタビューで「2022年まではアライアンスのトップを務めますが、他の仕事は変わるかもしれない」と語り、日産や三菱の会長には固執しない考えを示した。このインタビューから見えてきたことは、ゴーン氏は、日産会長やルノー会長の職はどうでもよく、何らかの形で3社アライアンスのトップに居座ろうとしていたということだ。
日仏両政府を巻き込んでのアライアンスの主導権争いは、そもそもフランス政府が民間企業の経営に介入してきたことに端を発する。
しかし、ルノーを介してフランス政府の意向が経営に反映されるようになることを日産の経営陣は嫌った。経営の独立性を維持することが、日産とルノーの提携維持継続の大前提だったからだ。資本の論理ではルノーに支配権はあるが、1999年の提携時の合意書には「ファーストバイスプレジデント(筆頭副社長)を超える役職は受け入れない」との文言を織り込んだのも、ルノーから社長を受け入れないためだった。しかし、この合意書は何回かにわたって改訂され、ルノー支配が強まる形となった。
西川社長の至上命題は「経営の自主独立」だった
2015年の「摩擦」の際には、ゴーン氏は日産側につき、フランス政府の要求を蹴った。当時の担当大臣がマクロン氏だったが、ゴーン氏との間に溝ができた。そのマクロンは2017年に大統領に就任。権力の頂点に立ち、ゴーン氏のルノーCEO任期が切れる時に、前述したような再任条件を改めて突きつけた。留任したかったゴーン氏は表面上、その要求を呑んだ。
同じく2017年に久々の日本人トップとして日産社長に就いた西川廣人氏の至上命題が「経営の自主独立」であり、権力の座に居座りたいがためにフランス政府側に付いたゴーン氏の圧力を跳ね返さなければならなくなった。側近の一人としてゴーン氏に仕えてきたものの、到底ゴーン氏の意向は受け入れられなくなった。
そこにゴーン氏に関する不正の内部告発があり、社内調査が進んで会長解任に値する不祥事と判定した。
最初から意図されたクーデターではないはずだ。しかし、「ゴーン氏およびフランス政府の圧力を跳ね返すこと」、「不祥事の処理」という2つのパズルが重なって、ゴーン氏の会長解任劇となり、これが結果として「クーデター」と映った。
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ゴーン氏の"チルドレン"と見られていた西川廣人日産社長と志賀俊之取締役。カリスマ「追放」の裏側に潜む、20年間にわたる3人の愛憎劇を、井上氏は「文藝春秋」1月号誌上で「日産クーデター劇・ゴーン追放全真相」と題して詳細にルポしている。あわせてお読みいただきたい。