子どもにはちょっと難しいかな、と思っても考えて話してあげることって大事みたいです
――ところで、そもそも寺尾さんが歴史や戦争について関心を持ったきっかけって何なんですか?
寺尾 最初は母親が話してくれた、「関東大震災のときに、朝鮮人が井戸に毒入れたってデマが広まって、たくさんの朝鮮人が殺されたんだよ」という話です。小学4年生の時だったかな。何でその時代って、そんなおかしなことが起きたんだろうって、子供ながらに思って。それで、何となく昔のことに興味を持ち始めて、テレビの歴史番組なんかも観るようになったんです。川島芳子に興味を持ったのも「驚きももの木20世紀」で観たのがきっかけです。
あと、朝鮮人虐殺事件のことは後々、私が中島敦に興味を持つきっかけにもつながっていますね。事件で夫を殺されて淫売婦になった女性を描いた中島の短編「巡査の居る風景――一九二三年の一つのスケッチ」について高校のレポートで書いたんです。作品の印象が強烈で、そこから植民地経験を描いた作家としての中島に興味を持って。大学時代に改めて南洋の中島敦に出会ってさらに南洋と日本の歴史への興味につながっていきました。
――寺尾さんは3人の娘さんを育てていますが、お母さんと同じく、たまに歴史の話をしてあげたりするんですか?
寺尾 そうですね、時たま。小学生新聞をとっているんですけど、記事の解説をしてあげたりとか。ちょっと難しいかな、と思っても考えて話してあげることって大事みたいです。何かしら興味のきっかけになるから。
――まさにお母さんにしてもらったことを、お子さんにも。
寺尾 上の子がいま小学校の4年生なんですけど、去年、夏休みの自由研究でアンネ・フランクについて調べてたんです。図書館で借りた少女マンガ風に描かれたアンネの学習マンガが気に入ったみたいで。それきっかけで、アンネ関連の児童書をどんどん読んでいって、夏休み中に一気にアンネオタクみたいになっちゃった。私にクイズを出してくるまでになったんですよね(笑)。
――どんなクイズ?
寺尾 アンネは収容所を3カ所移動しますが、2カ所目は何という収容所でしょうか? とか……。 アンネに興味を持ったのは自分で借りてきた学習マンガを読んでなので、きっかけらしいきっかけは与えていないのですが、娘から話題を振られた時のこちらの反応などで、お母さんも興味あるんだな、大事な話なんだな、といったことは自然と感じているのかもしれないですね。
音楽と戦争について考えた1冊『ホロコーストの音楽』
――戦争と歴史を考えるうえで、寺尾さんが影響を受けた本は何ですか?
寺尾 1冊挙げるとするなら、シルリ・ギルバートの『ホロコーストの音楽』です。ホロコーストの中では、抵抗文化として音楽が歌われ、演奏されてきたと言われ続けてきたんだけど、果たして本当にそうだったのか、という問いを検証していく本です。証言を積み重ねていくと、人々を救ったり、勇気付ける音楽もあった一方で、虐殺の現場で、遂行者の精神バランスをたもたせるために使われていたクラシック音楽があり、ユダヤ人たちが強制的に行進させられる時に使われた音楽があったことなどが蘇ってくる。音楽ってここまで利用されちゃうのか、犯罪に加担させられうるものなんだって衝撃を受けました。
――寺尾さん自身、音楽の人でもあるので、歴史と音楽の関係には一層関心があるのではないですか?
寺尾 そうかもしれないですね。今回のパラオでも土俗的なリズムの讃美歌とか、波止場で若い子たちが日本語で歌っている「長崎は今日も雨だった」とかに出会いました。日本の軍歌は、パラオでもサイパンでも、現地のおじいちゃん、おばあちゃんが懐かしそうに歌うんです。「キミノタメトテ イサギヨク ヨクゾセンシヲ シテクレタ」って、歌詞は軍国調そのものだけど、幼いころに馴染んだメロディーと言葉って、それがどんな意味であれ人から離れがたい部分があるんでしょうね。音楽にも正と負の二面性があるし、負の側面が個人的には「懐かしさ」みたいな正の部分に転換されてる場合もある。歴史って、細部を積み重ねていけばいくほど、単純な話にはならないんですよね。
さっきのシルリ・ギルバートは「歴史家の見方を当時の人々に押し付けるのではなく、彼らに語らせることだ」って言っています。戦争から遠く離れた世代だからこそ、耳をすまして、小さな声を積み重ねて、伝えていきたいと思っています。
てらお・さほ/1981年、東京生まれ。ピアノ弾き語りの音楽家。2007年「御身onmi」でメジャーデビュー。大貫妙子、坂本龍一、星野源らから賛辞を得る。アルバムに『風はびゅうびゅう』『楕円の夢』『たよりないもののために』など。著書に、東京大学大学院修士論文をもとにした『評伝 川島芳子』のほか、『南洋と私』『愛(かな)し、日々』『原発労働者』『あのころのパラオをさがして』。