絵を描きながら甘い声で歌うスタイル
しかし専門学校卒業後、2008年からは持ち前の画力を生かして“ペインティング・シンガーソングライター”として、絵を描きながら歌うという独自のスタイルで芸能活動を開始した。当時の芸名は「洸平」。同年11月にシングル「STAND UP!」でCDデビューし、2009年には人気子供番組「ポンキッキーズ」(フジテレビ系)シリーズの「Beポンキッキ」(BSフジ)のエンディング曲を担当するなど、デビュー時は歌手活動がメインだった。
松下のライブには多くの女性ファンが詰めかけた。ライブハウス関係者が「みなさんうっとりとしていた」とその様子を明かす。
「うちでやったライブにいらっしゃったファンはみなさん女性で、20代から40代までと幅が広かった。松下さんは歌の前奏で絵を描き、歌って、間奏で絵を描き、そしてまた歌う。歌は親しみのわく歌詞とメロディで大衆受けしますし、絵もポップで可愛らしいテイストが多いのでとっつきやすい。しかも歌声がとても甘いんです。女性が夢中になる気持ちもわかります」(同前)
歌手としても固定ファンがいた松下だが、ミュージカル「グローリー・デイズ」に出演したことがきっかけで、23歳の時に事務所移籍と同時に歌手から俳優へと活動の舞台を移す。この移籍に重要な役割を果たしたのもある女性だ。
“育ての母”は名物女性マネジャー
「松下さんにはこの頃、名物女性マネジャーがついていたんです。年齢は当時で40代くらいでしょうか。イベントの打ち合わせで、マネジャーさんが『松下は歌もいけるけど、本当は役者をメインに売っていきたいんです』と熱く語っていました。彼女とは何度かご飯を一緒に食べたことがありますが、松下さんへの入れ込みようはすごかったですよ。松下さん本人に明確な進みたい道があるというよりも、マネジャーさんがしっかり売り方を考えていて、その方針のもとで松下さんが才能を発揮していっているように見えました」(同前)
彼女の存在は舞台の世界でも有名だった。
「松下さん自身は自分から目立とうとするタイプではなく、稽古でも本番でも真面目で控えめな性格でした。しかしマネジャーが松下さんの素質に惚れ込んでいて二人三脚で頑張っていました。まるで仲のいい母と息子のようでした」(舞台関係者)
“生みの母”と“育ての母”が照らす道を、ゆっくりと歩んできた松下は着実に才能を開花させていった。23歳で出演した舞台「さくら色 オカンの嫁入り」の脚本を書いた赤澤ムック氏が当時を振り返る。