1ページ目から読む
3/4ページ目

 表経済に進出して巨額の資金を手にする「経済ヤクザ」と呼ばれるカネの動きに敏感な暴力団幹部も登場した。当時から活動していた山口組系の暴力団幹部は、次のように証言する。

「それまで見たことも、触ったこともないような億単位のカネを手にするようになった。バブル期はまだまだ若手だったが、車はロールスロイスに乗っていた。カネの使い道に困るほどだった」

 昭和の終わりから平成のはじめごろ、株主総会で質問攻撃を繰り返すなどして企業に揺さぶりをかけ、違法な金を受け取っていた「総会屋」という反社会的勢力も跳梁跋扈していた。その歴史は昨秋刊行した拙著『総会屋とバブル』(文春新書)にまとめたが、その取材過程で、国内最大の総会屋グループ「論談同友会」の元幹部は次のように証言していた。

ADVERTISEMENT

「バブルの恩恵は総会屋だけでなく、暴力団などの反社会的勢力を潤していた。暴力団と総会屋の間などでもトラブルが何度もあった。ある時、土地ビジネスでトラブルになり、山口組を名乗るヤクザが何人も会合の場として指定された喫茶店などに乗り込んできて取り囲まれた。解決に向け話し合いとなるが、ケンカ腰の交渉が何度もあった」

5代目山口組組長の渡辺芳則(左)と、若頭の宅見勝(1989年11月) ©共同通信社

「みかじめ料包囲網」で窮地

 バブル経済に陰りが見え始める中、総会屋に対してだけでなく、暴力団業界の中でもシノギをめぐって対立が頻発するようになり、東京の繁華街での発砲事件なども珍しくない治安となった。

 そんな情勢を阻止しようと、警察当局は1992年に「暴力団対策法」を施行させて、強い規制に乗り出す。繁華街での飲食店などからのみかじめ料の徴収を禁じるなど、暴力団の基本的な収入を遮断することになる。

 すると全国の暴力団勢力は9万人を切り再び減少を始める。さらに、追い打ちをかけたのが2011年10月までに全国で施行された「暴力団排除条例」だった。「暴対法」がみかじめ料の徴収など暴力団側の行為を禁じたのに対し、「暴排条例」はみかじめ料などの利益を暴力団側に提供する企業や一般市民の行為を禁じたのだった。

 暴排条例の違反を繰り返した場合は、法人や個人の名称が公表されることになった。特に企業の名称が公表された場合は銀行取引が即座に停止されることが予測され、事実上のマーケットからの追放宣言とみなされ存続が許されないこととなり、多くの企業が暴力団と手を切った。

 シノギの代表格だった「みかじめ料」対策として、その効果は絶大だったようだ。